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試練の中にある人へ

試練の時は、

何で自分がこんな試練に合わないといけないんだと嘆き、

とてもじゃないけど乗り越えられそうもないと悲観しそうになります。

私が再婚したことによって、

継父と一緒に暮らすことになり、

試練の時を迎えた息子。

一時は、離婚してくれと懇願され、

私も本当につらかったのですが、

最近息子はぐっと成長して、

父親との関係も落ち着いてきました。

ところが、今度は、

家で大変な状況だったときに、

温かく迎え入れてくれ、居場所となってくれた

少年野球のチームが人数不足のため活動停止、

という事態になりました。

そんな時でもやはり、

真理のメッセージの通りだなと感じていることについて

書こうと思います。


1.試練は、誰のせいでもなく自分の責任

世の中には一見すると、

自分の責任は全くない、

もらい事故のような不運があるように思われますが、

実は全て自分で招いた事態です。

例えば、人数不足による活動停止は、

外部環境による不運のように思えますが、

本人が、

退部していくチームメイトを必死で止めることもなく、

誰かを必死で勧誘することもなく、

のほほんと活動していた結果です。

ケースによっては、

責任の多少はあるように見えますが、

その現象が本人に起きるだけの道理は必ずあります。

2.試練から、デメリットを受けるだけでなく、メリットも享受している

一つの現象=出来事を取り上げてみたときに、

良いことだけあるということも、

悪いことだけあるということも、

ありません。

良い面を見るならば、悪い面も必ず見つかるか、

何の意味もないニュートラルな出来事かの、

どちらかです。

例えば、今回息子は、

人数不足による活動停止は、

居場所がなくなる悪い出来事と捉えていましたが、

実は人数が少ないからこそ、

入団の勧誘をしてもらい、手厚く育ててもらい、

試合にも出るチャンスをもらえていたという、

メリットも、十分過去に享受していました。

また、人数不足による活動停止は、

もっとたくさんのチームメイトから刺激をもらえる環境へ

移籍するチャンスという良い出来事だけど、

今後は試合には出られないかもしれないというリスクでもあります。

いずれにせよ、

試練に思えることでも、

チャンスやラッキーに思えることでも、

プラスとマイナスは同じ量だけあります。

3.試練は、自分に起きるべくして起きるタイミングで起きる

ある出来事が、

試練だと思える時点で、

それを乗り越えられるタイミングにあり、

乗り越えられるだけのレベルに達しています。

例えば、

野球チームに入部していない人が、

活動停止の危機には合わないし、

入部したとしていても、

めんどくさいし、いつ辞めてもいいやと思えるなら、

活動停止は試練でも何でもないわけです。

もっと一緒にやりたいと思える仲間がいるからこそ、

もっと野球を続けたいと思える実力がついているからこそ、

活動停止する悔しさと、移籍への不安があります。

また、今回の出来事が、

野球チームを家でのゴタゴタの避難場所としていた時期ではなく、

家庭環境が落ち着いたタイミングであったことも、

人生本当によくできているなあと思いました。

試練の中にあっても、

心配することは何もないと、

息子にも言いたいです。

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