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【徒然なる儘に】ロックを見失っていた自分に気がついた日、わたしは何をしたのか?

昨日のこと、ふと、
もしかしたらわたしはもうロッカーじゃないのかも?
という疑問を抱いた。

うつで長く音楽が聴けないときは今までにもあったけれど、そういうことではなく、自分のスタイルがもはやロッカーじゃないような気が初めてしたのだ。

ロックとわたし
これは同義語だった。
小学生の頃からだ。

しかし、闘病生活が長くなるにつれロックを聴けないときが増え、ファッションやアクセサリーにも拘らなくなり、人柄も丸くなって、個性が弱まった。

ロックでない自分はもはや何者でもなく、今までの人生が全て台無しになるような危機感を感じた。
その一方で、尖ったところがなくなり、平凡で穏やかな生活を送る人生も悪くないような感じがした。

新しく出てきたロックバンドは、ラブソングばかりとか、ポップと融合しているとか、こ綺麗なところとかが好きになれずついていけなかったし、好きなロックバンドの新曲もずっと追いかけていなかった。

わたしはロックとこれだけ簡単に離れられるとは思っていなかったし、ロッカーではないとしたら、今自分の生き様がどうなってしまっているのかについても戸惑った。

しかし、好きじゃなくなったのならもう好きじゃないのだ。それは覚悟した。

その上で、わたしは真剣に考えていた。
自分の人生の問題だからだ。

わたしには夢があった。
それは、義ちゃん(自分のギター)といつかギタリストとしてステージに立つという夢。

義ちゃんを眺めながら、この夢は諦めたくないと思った。
ならば、義ちゃんがロック・ギターである限り、わたしはロックでいなければならない。

そう思ったわたしは、出来る限りのことをした。

エレファントカシマシのガストロンジャーのライブ動画を何度も観た。

忌野清志郎さんや内田裕也さんの動画を観た。
最期までロックンロールだった彼らは最高だ。

ヒロトや宮本さん、YOSHIKIのトーク番組を観た。

エレファントカシマシの練習風景動画を観た。
宮本さんがキレキレで熱くて、スゴい情熱だと思った。

エレファントカシマシの昔の侍を聴いた。
この曲だけはうつで気力がなくても子守唄みたいでいつでも聴けるのだ。

久しぶりに、ロックギター入門書を開いて眺めた。
今はギターが弾けないから眺めるだけだけど、ロック・ギターはやっぱりカッコいい。

表紙は義ちゃんとお揃いのフェルナンデス

義ちゃんを弾くイメージをした。
自分の部屋や、ステージで弾くイメージ。
イメージは大切だ。(ヒロトが歌ってた)
義ちゃんはカッコいいけど可愛らしいと思う。

義ちゃんはわたしの日本刀である

YOSHIKIの白鳥の湖(ピアノ)を聴いた。
ロックは関係ないが、好きな曲だ。

Xのblue bloodを聴いた。
気力が続かず途中までだったし、調子が良くなかったのか耳障りだったのが残念だった。またチャレンジする。うつではロックが難しいんだと思った。


昨夜から徹夜でロックを取り戻す作業をし続けて分かったことは、ロックはカッコいいということ。

それに、わたしには音楽やロックに対して、これだけ頑張れる情熱がまだ残っているということ。


今のわたしは昨夜自分を疑ったときよりはロックに戻ったし、やっぱりロックで生きていきたいと思っている。カッコいい生き方がしたいんだと思う。

しかし、生き様なんてそんなに簡単に変わらないから、これからもロックを頑張ってみようと思う。

自分がロックでなくなるなんてことが身の上に起こるなど、夢にも思わなかったし、今でも悪夢みたいだ。人生最悪のアクシデントの一つに間違いない。

人は変わる生き物なんだな。

わたしは幸い自分の夢に救われて、ロック人生をかろうじて繋ぐことが出来た。
小さいけど、夢みてて良かったなと嬉しく思った。

ロックは生き様とか偉そうなことを当たり前のように言っていた自分が、こんな事態になってあらためて、それは本当のことだったなーと痛感している。

またロック最高!とか心から叫びたいものだ。

もうすぐRISING SUNかな?

夏フェスの季節真っ盛りですね!
体調に気をつけてラブアンドピースを(^_-)⭐︎

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