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#024 弟は師を選ぶために、結局学ばねばならない--理系各員に捧ぐ

本シリーズは、①勉強頑張ったら選択肢が増える、②理系かつ高成績の方が選択肢は多い、③選択肢が多いと良い会社に入れて幸せになれるというよくあるお話の②まで必死で頑張ったものの、③は半分嘘である。ということに気付いて四苦八苦した僕が、理系が気付かぬうちに罠にハマらないために、一生懸命に生きる理系各員が考えて損のないだろうトピックを書いていくものである。

人生は、頑張った物事よりも、自分の身を置く場所で決まる。これは、身の回りの環境を2、3回大きめに変えて過ごすようにして実体験した感覚だ。

僕は、自分自身のことを、現在よく周囲にいる10人ほどの平均だと感じている。人間は相互定義して、個というものを作り上げる系らしい。

孤独になった人は、社会から見たら死人同然である。社会は人間の集合体なのだから、人間から切り離された(=孤独な)人は、いるもいないも関係ない。

師弟関係とは、経験豊富な師に経験不足な弟子が学び、師は弟子を見てさらに自分を磨く関係性だ。

師が弟子を探すことはない。弟子が師を選び、指定関係の契りを請う。

人間は、自分の周囲10人ほどの平均らしい。この10人は、それぞれが部分部分で師匠となる。自分から請うたつもりがなくても、自分の意思で選べる事柄だから、今の10人は自分で選んだ師匠なのだ。

問題は、弟子はその経験不足のために良い師匠を見つけることができないことにある。

不出来な師匠は、不出来な弟子を厳しく育てる。洗脳まがいの行為の強制を、教育だと言い張る。

この不幸な行為の連鎖が真に不幸な理由は、行為をする側もされる側も、これが不幸な行為で不出来な結果だと気付けないことだ。

不出来だとわかる人は、すでに賢者の素質を持ち、自分の周りの10人の師匠をしっかり固めている。

連鎖の断ち切りには、弟子が自ら学ぶしかないわけだが、学びに必要なハングリー精神は、今の微妙に満たされた日本社会では育ちにくい。

豊かな人生とは、自分がそこそこに楽しんで生きてから結婚し、子供を産んで、子どもを不自由なく大人にさせてやることだ。

この考えは、たしかにその通りだと同意するものだが、同時に子どもの毒になっている場合がある。ハングリー精神の欠如だ。

不満なく生きられたが故に、向上心に繋がる牙を折られてしまっている。今、自分が目指す豊かな人生も、未来の子どもの負債となる可能性は常に考えなければならない。

だから、今気付いた弟子たちは、学ばなければならないだろう。師匠は人でも、本でも良いから、やろうと思えば今この瞬間からでも学べる。

また次回も、よろしくお願いします。

※トップフォトは、ぱくたそさまを利用しています。
ぱくたそ(www.pakutaso.com)



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