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#009 字が汚いと本当に損をする(しかも誰も指摘をくれない)--理系各員に捧ぐ

本シリーズは、①勉強頑張ったら選択肢が増える、②理系かつ高成績の方が選択肢は多い、③選択肢が多いと良い会社に入れて幸せになれるというよくあるお話の②まで必死で頑張ったものの、③は半分嘘である。ということに気付いて四苦八苦した私が、理系が気付かぬうちに罠にハマらないために、考えて損のないだろうトピックを書いていくものである。

今回は小学校以来、指摘されたことが少ないかもしれないが意外と重要なテーマとして、字の綺麗さについて書いていこうと思う。これからの時代、手書きの字が綺麗かどうかなんて、どうでもよいかと思いきや、これがそうでもない。手書き文化は、しばらくか、もしくは一生消えることはないだろう。

人の手書きしたものを見る側の立場になると、初めてわかることがある。人間は思ったより、手書き文字にその人の印象を左右される。まるで手書き文字は、服装や髪型のようだ。話や態度が信用できても、見た目がだらしない人は、信頼してよいのか不安になる。見た目の清潔感があり、キッチリしていると話を聞いてみようという気になる。これは差別などではない。無意識にそうなってしまう、人間の性質だ。

綺麗に字を書くテクニック

ここでは、実際の答案やノートを見た経験から、理系で多い、直せばかなり得しそうなポイントを紹介していく。

はじめのポイントは、線。線といっても2種類ある。ひとつ目は、字を構成する線。ふたつ目は、字が並んだ文に沿う線だ。

文字を構成する線を美しく引くポイントは、始点にペン先を入れる動作を、慎重に行うことだ。始点を決めて、慎重にペンを入れたあとは、焦らず終点の位置を確認する。そしてそこからは、さらりと終点に向けて線を引き切る。トンっと入れてスーッと引く。このリズムを覚えておこう。特に一画目は、文字の線はもちろん決まるが、文に沿う線も決まる。慣れるまでは慎重に、線の位置を決める。

文に沿う線は、文字の足が揃う線だ。文字は、小学校の方眼ノートのマス目のような、四角の空間を意識して書く。その四角の底辺が連なった線が、文に沿う線である。マス目の中で文字の形に対応した始点を決めると、この線は自ずと現れてくる。

理系で、行を意識したノートが書ける人は、実は結構少ない。だからこの線を意識するだけで、かなり綺麗なノートに見えるのだ。

次のポイントは、線を繋ぐことだ。日本語の文字は、書き順に従って見えない線でどの画も繋がっている。アルファベットも繋げなければ、字として認識できないものも多い。線を繋ぐの具体例は、後ほど書こう。

あとふたつ理系で特に注意した方が良いことがある。ひとつ目は、曲線を曲線として引くこと。ふたつ目は変な改行をしないことだ。

曲線は引くのがすごく難しい。そのせいかノートが直線だらけになっている人が多い。理系はギリシャ文字を使う。ギリシャ文字は曲線が美しい文字だが、逆に言えば曲線が書けなければ、満足に理系としての論述ができない。

改行はなぜか多い。文に沿う線を崩すので、見た目として美しくないのは明らかだ。文章全体の重心が、一塊の中心にあるように改行を使う方が、美しい解答を書く人に見える。

一般的な綺麗な文字のためのテクニックは、素晴らしい記事があったのでこちらに紹介しておく。本稿では理系のノートや答案を見た上で、特に即効性のありそうな事項を述べた。

理系ならではの注意点

理系は日本語、英語、数学記号、数字、ギリシャ文字など、様々な文字を使う。これらの書き分けは、正確な論述に必須となる。

よくある書き分けの難しい文字を上げておこう。これらの中には、ここ1ヶ月以内で実際に注意したものも多い。

1.「2」と「z」
これは、前節で書いた曲線を曲線として引くことの代表例である。2はよく書くので、一回のノートで何回も直しを入れることがよくある。癖つきやすいので、注意が必要だ。

2.「g」と「δ」
logや重力加速度gなど、様々な場面で出てくる「g」。急いで書くと、画像のようになってしまい、δと見分けがつかない文字になってしまう人も多いので要注意だ。

画像1

3.「9」と「q」
読みも似てれば、形も似てる。これはどっち?と聞いても「キュー」と答えるしかないので、これは文字で示さねばならない。実際にはqの足を丸めて書き分けると間違いがない。

画像2

4.「a」と「d」
意外と多いこの書き分けミス。クセになるので注意が必要。

手書きは貴重になる

少しここまでと違う視点で、手書きを鍛えるお得ポイントを考えてみる。理系は、自分の専門だけで競争してはいけないという話を以前書いた。その理由は、誰がやっても同じことができても価値がないからというものだった。

手書きは誰がやっても同じにならない。これが重要だ。昨今のやりとりは、大部分が電子化した。電子化してない郵便物も、タイプされた印刷文字が並んでいるものばかりだ。そういう時代だからこそ、綺麗な手書き文字をかける人は貴重になる。人間は、どうしようもなく他人の人間らしさに弱い。同じオファーが来た場合、手書きで心がこもったように見える手紙と、タイプ文字の手紙ならどちらのオファーを受けるだろうか。

恋人や家族、友人からの手紙は、なかなか捨てられないのも人情ならば、真に人に訴えかけたいとき、手書きの手紙を出せた方が良い場面もありそうだ。

まとめ

何人ものノートを見ると、本当に美しさの差に驚かされる。興味深いことに、ノートが綺麗な人は、大体書いてることも正しい。

私は昔、習字を習っていた。そのおかげで、それなりに読みやすいと言われる文字が書けるのだが、最近ノートが綺麗なら書いていることも正しい人が多いのを見て、ピンと来たことがある。習字は、文字の形に意味を見出し、美しさを求めて考える。理系の論述は、言葉ひとつひとつの意味を積み重ね、結論に向けて考える。正しい論述と綺麗なノート作りは、その思考プロセスが似ている。

最後にひとつ、書き忘れたことがある。消しゴムの跡を残すのは、論外だ。消え切ってもいない文字の上に、判読不可能な文字が書いてあるのを、老眼の先生方が採点できるのか、どうか考えてあげてほしい。

字の書き方というと、小言臭くなるが、実際それはその人の評価に大きく影響を及ぼすのだ。そしてそれは、大人になる程、指摘してもらえない。

ではまた次回も、よろしくお願いします。

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