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母の治療と私のゆらぎ 母と娘の闘病日記②

母が食道がんと医師に告げられたGW直前、雨がしとしと降っていた日でした。

手術をする前提で、抗がん剤治療をするという選択か、何もしないという選択か。
もしかするとそれ以外にもあったかもしれないけれど、私はその2択として受け取っていました。
医師曰く、「手術が出来ない患者さんもいる。手術が出来るという事は良い事なんですよ。」との事。確かにそう思う。

母は、手術に躊躇していたものの、まずはその手前の抗がん剤治療という事もあり、自然と入院に取り組むことに。

これまで病気という病気はほとんどしたことがなかったので、不安ばかりが先に立つところ、医師から受けた説明やお見舞いに行くことを伝え、理解を示していました。

入院当日は思っていたよりスムーズで、「じゃ、行ってくるね」なんて言いながら看護師に付き添われ病室に向かっていく母。
こんなにあっけらかんと入院って始まるんだな~と不思議な気分のまま、入院中に必要なパジャマやらを病院に併設されたコンビニで手配するなど、事務的な作業を終え帰宅したのでした。

それにしても、さすがと脱帽したのがコンビニ。
病院に併設だけあって、入院セット、パジャマやタオルのレンタル、おむつの種類のあることあること、病院用にカスタマイズされたneoコンビニ。
コンビニの規格を超え、カスタマイズを受け入れる。
そういう姿勢が競争力という武器になるんだな、と変なところに感心。

抗がん剤投与は5日間。入院は投与前後を含め8日間。
コロナの影響で、お見舞いは平日のみの限られた時間帯で15分の限定。
なかなか厳しい短さではあるものの、有効に話が出来るよう、様子を汲み取れるよう、気を付ける日々でした。

入院翌日と翌々日は仕事の関係でどうしても病院に行けず、次に逢えたのは入院4日目。
初回のお見舞いでどきどきでしたが、思いの他元気に話す母。
高齢者が入院時に症状として出るという、せん妄(混乱や不安に苛まれる、支離滅裂な発言をするなど)の症状もなく、ほっと一安心。
土日はお見舞いに行けないため、次のお見舞いは入院7日目だったのですが。。

明らかに様子が違う。
歩き方もとぼとぼ、ぼーっとしている表情、反応も鈍い。
話している言葉もままならない。
心の奥がぎゅーっとする感覚。
一気に年老いた母を前に泣きそうになるのをぐっと堪えて、懸命に意思疎通をはかることに専念。
話をすることで感覚が戻ってきたのか、母の表情も少しずつ柔らかくなったものの、辛いというひとことがぽつり。。
何もしてあげあれない無力さと、土日は無理でも、平日は仕事なんかほったらかしてお見舞いに行くべきだったと心から後悔。
状態はこんなにも様変わりするんだと、身に染みた初めての抗がん剤投与でした。

そんな翌日は退院の日。
8日間の入院生活もあっという間で、症状は気になるものの状況が分からない病院から家に帰れるのは、心の重みがすこしだけ軽くなる、そんな感覚で病院へ向かったのでした。

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