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紋付さんの来る庭

ジョウビタキの声が聞こえる季節になると、父方の祖父母の庭をまた思い出す。金木犀、金柑、南天、ツグミ、石蕗、メジロ、椿、れんぎょう、沈丁花、すみれ、にわぜきしょう、アメンボ、つつじ、さつき、ニラの花、牡丹、てっせん、ほたるぶくろ、アブラゼミ、百日紅、コオロギ、柿、ヒヨドリ。季節の移り変わりを緩やかに告げる庭。

縁側の正面からすこしずれて左斜めに見える池(黒い鯉と赤い鯉が2匹ずついた)や、下の道路から上がってくる階段の脇を固める茂みや木々(常に完璧な姿の松を仰ぎ見て階段を上がっていくと、上がりきる右手前から冬は金柑が実を垂らしてくる)を含め、敷地内は植物に精通した祖母(と庭師)のタクトにより雑然としつつもどこか規律のある美しさだった。
雑然として美しい庭は南に開けていたので、例えば稚児のお祭りや七五三で着付けてもらった時の記念撮影は逆光にならないよういつも池の前から撮られ、背景は古びた縁側だった。その縁側と庭を隔てる引き戸のガラスが古さゆえ向こうの景色が若干ゆがんで見えること、押し込んで回す鍵のきゅいきゅいいう音が好きだった。

庭だけを撮った写真はおそらく父母も持っていない。あんなに美しい細部が集まっていたのに。

階段や池の周囲は大きめの岩の組み合わせで成り立ち、縁側の端にあたる所に配置されたししおどし、そしてなだらかに小高くなっている池の奥のエリアには椿やエゴノキに囲まれた石灯籠や小さな山に見立てるためのリトル石垣、鷺草を踏んづけまいとする祖母が作ったストーンサークル、階段上の通路から縁側前までに7つか8つあった気がする飛び石と、あちらこちらで庭を支える岩石。
縁側から数えて3つめの飛び石には、毎朝祖母が律儀に盛り塩スタイルでセットするスズメたちの食糧事情を支えるパンくず。
縁側から見ると飛び石の周りは野草も含めて常緑、遠景にあたる池の周りから後ろは季節により色を変える草木が配置されることで、季節のうつろいを立体的に醸すことを支える設計。

何かを支える何かが雑然と点在しているからこその美しさは、それが目的のある行為から発生したものであれ否であれ、雑然のすばらしい要素としてすべてが機能していた。
そんな庭に、そろそろまた紋付さんが来る。

草木には驚くほど精通しているのに、祖母は鳥はからきし駄目だった。スズメに次ぐ訪問率のヒヨドリやムクドリでさえ、ひー、むく、など勝手にあだ名をつけていて、毎冬訪れてくれるジョウビタキに対しても容赦なく、雄雌共に共通している翼の端にある白い部分を「紋」と見なし、紋付さんと呼び始めた(共通の白い部分を見出して同じ種類だと理解する勘のよさはすごいのに)。
雄の鮮やかなオレンジは、冬の始まる庭に彩りを与え、南天の実が色づくとそれはまた赤とオレンジの相乗効果で増幅される。雌は褐色ながら、祖母の言う紋が庭のトーンとなじみ白の奥行きを最小限の面積で与えてくれる。

そんな紋付さんがまた来る。

正確には、紋付さんが来る季節になった。あの庭はもうなくて、歯医者さんのビルになっている。


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