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もうそこにいない

今そこにある危機、のように「いない」の後に何かが必要だと思う。でもそれが出てこない。出てこないからなんだか同棲していた彼が出ていったみたいなことをうたう歌詞のようにもとれる。

もうそこにいない、正確にはもうすぐそこにいなくなるふたちゃん。
ガンバ大阪背番号10番二川孝広。
本当に、大げさでなく、あらゆる人をサッカーの面白い世界へ引きずり込む人。ほとんどしゃべらずに。しゃべらずにどうやってやるかというと、淡々とサッカーをする、ただそれだけ。

今ほど試合中のカメラワークが綿密かつ鮮明でなかった頃は、例えばテレビの中のマラドーナやバッジォがいとも簡単にボールを扱い、点でばらばらとフィールドに散らばる面々を自在にパスでつないでいくこのスポーツが得意ということは海の向こうの話だと思っていた。
Jリーグが始まって、わが街にもクラブができた。びっくりするくらい弱かったが、点を見えない線で生き生きとつなぐ人たちも時々海の向こうからやってきてくれた。

高校生活も半分以上過ぎた頃に、はじめてふたちゃんを見た。私よりも背が低くて中学生みたいだったが、海の向こうの人たちが楽しそうにやるつなぐ仕事を簡単そうにやっていた。簡単そうに、というのが誤りだったと気づいたのは後日のことで、彼は簡単にやるための前準備が最高にうまかった。
ボールを胸で受けて足元に落とす時に回転をどの程度弱める、維持するとか。
足元にきたボールをそれぞれの点々たちにつなぐ用にちゃんとカスタマイズするとか。
体力はあまりなさそうだったからかDFに当たられないように動くとか。

淡々とやっているからそんなにすごいことだと最初は気づかなくて、そういうところがもうこの人本当にこれが天職なんだろうと思っていた。
案の定、ちゃんとトップチームに入った。しばらくぽよぽよしていたけれど、埼玉県人のわりにちょっと強引な監督に背番号を渡されてからはスタジアムに10番のユニフォームの人が途端に増え、潜在的なファンがうわっと可視化されたのは、名実ともに彼の能力が輝こうとしている証拠だった。

選手、スタッフ、ファンから愛されていることを知っているからこそ、スタジアムにたくさんいる10番ユニフォームの人たちのことを知っているからこそ、今シーズンの(あえて言うけれど)不遇は本人にとって怒りに似たものもあっただろう。浦和の鈴木啓太が言った「浦和の男で終わる」みたいな選択肢も絶対よぎったと思う。
でもそれより、自分の職能でまだ生産力があること、需要があることを本人が理解して、加地くんがちょっと前にかっこよく去っていった時のようにチャレンジという言葉を選んだ。そういう言葉を自分で言わないところも魅力だったのだが、言ったらさらにかっこよかった。もう。なんなんや。

・・・いつまででも書けそう。
そして書くことで、昨日からの今まで感じたことのないカテゴリのこの感情がどこかへ仕分けられる気がしていた。でもそうなっていない。彼の「もうそこにいない」ことは人に新しい感情まで巻き起こす事件。

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