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九州散文

年明けにプレゼンした福岡の仕事が取れたので、1ヶ月に1-2回のペースで通っている。
博多駅でさまざまな行き先の列車を見るにつけ、これまでに蓄積された九州に関わる記憶が断片的によぎっては消えていくので、消えないよう書き留めてみた。

九州は、父の弟、つまり叔父が熊本は田浦(新幹線の新八代が最寄り駅になった!)のみかん農家へ婿に入ったため、その叔父の結婚を皮切りに、連休になると父の実家である名古屋から父の兄家族と祖父祖母がワゴンで西へ下ってきて、当時枚方在住であった私たち一家のワーゲンゴルフと神戸港で合流、そして鹿児島までフェリーで向かうという旅をよくやっていた。たまに鳥取に行きたいなどと言う主に祖父の要望を取り入れて、ひたすら陸路でgo westなこともあった。鳥取砂丘でナイロンとアルミでできた背負子のようなものに入れられ父に背負われた私の写真がなぜか残っているが、その顔は見る価値もないほどに眠りこけている。田浦を拠点に、近い鹿児島はもちろん宮崎や大分など、旅好きな祖父の感性の赴くまま3兄弟の家族総勢14人は大移動を繰り返していた、それが私の九州の最初の記憶である。
大人になってから人生初と思い込み天草へ旅をして、近くまで来たからと田浦の叔母に声をかけた時には、具体的な地名を引き合いに出され既に2度みんなで訪れていることが発覚した。高千穂や黒川温泉など、少し秘境っぽい場所として現在人気の高いエリアも、面白い場所を探し当てる天才だった祖父の嗅覚で複数回行っているとその時初めて知り、自分の薄っぺらい記憶力をあてに張り切って生きていくのはやめようと思うくらい衝撃だった。

大阪の公立中学は結構な割合で修学旅行が平和学習と銘打たれ、広島や長崎へ行く。私の場合、小学生で広島へ行き、中学は長崎だった。
長崎での最初の夜は平戸に泊まり、イカ釣り漁船なのかわからないが夜通し海に出ている漁船のほのかな灯りが水面に揺れる様をベランダで眺めながら、寝入る同室のメンバーを横目に眠れない親友と無言で座っていた。あの夜私たちは何かに連れていかれようとしていた、と後になって彼女は言う。意味がわからない。でも黙っていることでお互いに結束しているような変な気持ちになっていたことは今でも生々しくよみがえるし、夢にみたりもするのでそれなりに強烈なインパクトが平戸にはあったのだと思う。
大浦天主堂やグラバー園、眼鏡橋といった場所の記憶は何となくあるものの、平戸と同じレベルのインパクトは残らなかった。強いて言えば、何日目かに訪れた吉野ヶ里遺跡。強烈な陽射しに歩く気力を削がれ、常に列から遅れて後続のクラスに吸収されながら歩いていたため、バスガイドさんに存在確認でいちいち名前を呼ばれ笛を吹かれるというシーンが何度かあった。バスガイドさんはサチエさんだった。

九州にはJリーグのチームもあり、博多も鳥栖も何度か足を運んだ。特に鳥栖のスタジアムにはビジターチームのゴール裏に(普通に大きいサイズのプラカップで提供される)焼酎1杯銘柄問わず500円というコーナーがあり、相場がお高いものからどんどんなくなるため、ついつい欲張って飲んでしまう魔力に毎回引っかかる。だいたい正気に戻るのが前半20分くらいで、いつもキックオフの記憶がない。
そして今年から新しいスタジアムができた北九州は、まだ本城時代に一度だけ行ったことがある。本当に単なる陸上競技場で、電光掲示板もなく、スコアボードも選手名も高校生らしきボランティアの子たちが板を手動で入れ換える運用で進められていた。
北九州は鉄工業に支えられその隆盛時代にお金持ちが増えたと推測されるため、辰野金吾や村野藤吾といった当代きっての建築家が手がけた建物が公共私的問わず残っている。今はなき大阪の新歌舞伎座は村野藤吾の代表作であるが、あの連続した窓枠のような曲線を想起させるモチーフの建物を北九州で発見した時の小躍り感。当然下調べをしてその場所に向かっているので偶然の産物のような「発見」という表現は若干不適切だが、それでも楽しみにしている建物が初めて視界に入る瞬間というものはいつでも小躍り感に溢れている。

広島で仕事をしていた頃、広島のコンパクトな具合に飽きてしまって、よく博多へ出かけていた。その時に確信したのが濃い顔が男女問わず好きであること。広島より格段に濃い顔率が高くなり、すれ違う人の6割くらいがタイプなのだ。女性もきつめ、というかおそらく瞳の大きいはっきりした目鼻立ちの美人が多く、特に買い物もせずに天神辺りを歩きまわって人々を眺め、また広島に帰るという行動をしていたこともあった。 
通りすがりの人の中から自分のタイプを日がな一日探すというのは、非常に優雅かつ生産性の高いことだ。生産性、そう、生産性。他人に対して何かをもたらすことはできないが、自分の中での愉しさや好きなことをしたという充足感が次の現実に向かう原動力となる。

唐津のお鮨屋さん、嬉野の美しい石垣、佐世保のネオンの色、小値賀の美味しすぎるイサキ、崎津の今までに見た中で最も周りと調和していた教会など他にも忘れられない景色は多々あれど、自分で計画して訪れ、記録しようと思って意図的に写真を撮った景色だ。そうではなかった頃の曖昧な記憶が、駅や列車に記された行き先の地名でふと戻ってくる。次は何を思い出せるのだろう。




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