脳科学「人は、なぜ他人を許せないのか」よがり論

前にも書いたかも知れない。けど忘れているからもう一度書く。
この本だって「記憶は不完全になるように、あたかも設定されている」と書かれているので、決して私に問題があるわけではない。

ベストセラーを突破した「人は、なぜ他人を許せないのか」は、脳科学者である中野信子さんが書かれている。

脳科学と聞けば、理数系が苦手な人は拒否反応を示すだろう。
かくいう私も根っからの文系なので、脳だの数式だの化学だのというものは苦手だし、それゆえ未だに「容疑者Xの献身」が読めずにいる。

中野信子さんは、「ホンマでっかTV」に出演されているのを見たことがあり、認知していた。そのおかげか、ほかの脳科学者が書いた、と言われるよりも親近感を抱きやすかった。

本の内容は、「人を許せない、攻撃してしまう人の特徴」を、脳科学と社会性からスポットを当てて解説。
多分、本来は難しい内容になるのだろうけれど、とても分かり易く、数学で20点以下を取ったことがある私でも楽しんで読めた。

ザックリ言うと、「正義中毒が他者への攻撃を高めている」ということ。他には風土や現代ならではの問題を炙り、バッシングや排他的になる要因を列挙。誰でもバッシングに陥る危険があることを伝えている。

人と人が理解し合い、共存していくには許容性や多様性の拡大が必須だし、ここ最近はなにかと「皆が住みやすい世界に」と言われている。
それは全く悪くないし、推進することは大賛成。しかし、「みんな仲良く」が難しいから、差別やバッシング、いじめや戦争が起きているのが現状だ。

どうやら脳というのは、自分と異なるものに対立する性質があるらしい。だから、ある意味、「嫌悪感」や「排他的」になるのは自然の摂理とのこと。

しかし、そこをうまくコントロールするのが、私たち人間であり、現代人だ。自分の脳をコントロールして、初めて一人前と言われる日はそう遠くない。
現にさまざまな脳コントロールの本が出ている。

日本が好きか?と聞かれて、好きと答える人はどれくらいいるだろう?
ちなみに私は日本が好きだ。ご飯が美味しいし街並みはキレイ。なんでも安く買えてとてもハッピーだ。

では、日本人が好きか?と聞かれて、好きと答える人はどのくらいいるだろうか?
ここは大きな議論を呼びそうだ。

もともと余所者を好まない国民性であるがゆえ、「自分と違う」「普通じゃない」人たちは生きにくいとされるのが日本。
また、新しい物を取り入れたがらないため、IT分野で大きく遅れをとっているのはもはや有名な話。

日本人は「常識」「当たり前」が大好き。
そして「同調圧力」がダントツで高い国として有名である。それゆえ生き辛さを感じている人も多いだろう。
この同調圧力が他者への攻撃につながっている。

日本独特の空気感と生き辛さについては、「空気を読んでも従わない」という本に詳しく書かれている。この本も今後紹介するが、気になる人は是非読んでもらいたい。まさしく目からウロコの内容である。

他者への攻撃は、日本ならではの同調圧力よろしく、ノンダイバーシティが背景にあるが、他所の国でももちろんバッシングはある。
バッシングが起きる原因は「あいつはおかしい。私は正しい」という思い込み。冒頭で言った「正義中毒」がここで説明される。

皆、自分が正しいと思って生きている。自覚はなくても、「〇〇がこうなら〇〇はこう」という例文が、長い人生の中に積み上げられている。
その例文は、人によって違う。だからバッシングの内容もさまざま。

「みんな違って、みんな良い」と、金子みすゞ先生が言ったように、何を不快に思うかは人それぞれだし、疑問や嫌悪を抱くのに悪いということはない。ただ、行き過ぎているのだ。「怒りの沸点が低い」とは、なんとも上手い言葉を編み出したものだ。

「みんな違って、みんな良い」。
だから、自分以外の言動を受け止めるキャパを持つ必要がある。
現代人の知能は昔に比べ、はるかに高い。そしてそれと比例するように、バッシングを止められない正義中毒者もうなぎ登りだ。

人をバッシングするとき、ドーパミンが知らずの内に出ている。これは「自分は良いことをしている」という、「我こそは正義なり」という思い込みから発生している。

悪を退治するのは良いことだ。
しかし、それが悪だと、誰が決められるのだろうか?

長く生きると視野が狭くなる。それは経験によるものだからだ、と本には書かれている。
なぜなら脳は常に忙しい。ときには休みたいものだ。
だから時折手抜きをする。読み間違いや聞き間違いをしたことがある人は多いだろう。
それは脳が手抜きをしている証拠なのだ。

つまり、私たちの脳は、一度学習したことをほかの要因といとも簡単に結びつける。似た言葉、似た顔、似た音なんかにはバグが起きる。
「まさか、そんな」と思う人は「空耳アワー」でも聞いてみると良いだろう。百聞は一見にしかず、だ。

脳が手を抜くと、多様な考えや意識の持っていき方ができなくなる。
「人を殺したから死刑」や「芸能人ならつねに清く正しくいろ」というのも、多様な考え方が出来なくなっている証拠だ。

殺人は悪いだろう。しかし、高齢介護の末、人様に迷惑をかけないように、と母を殺したあの男性は死刑になったか?いや、ならなかった。
芸能人だからといって、赤信号を無視したことがない、という人はいるだろうか?多分、いない。

物事は他面的に見て、その時々で答えを探していかなくてはいけない。
これはとても疲れる作業だし、脳もヘロヘロになる。そうなるくらいなら「信号が青なら進め。赤なら止まれ」というように、形式だった日常にいる方がよっぽど楽できるのだ。

そもそも信号の青は「みどり」だけど。

私たちの脳はつねにバグっている。
バグっているからこそ、自分の答えが正しいとは限らない。
あなたが悪だと決めつけている人や事の方が正しい可能性もある。

正しさなんてないのだ。
確実なことなんてないのだ。
思脳のバグで思い込んでいるだけ。
こう考えると、自分こそバッシングされるべきかもしれない、と考えが改まる。

「他人を許せない」のは、現代人ならではの問題に加えて、もともとある脳の性質が関係している。

許せない、と思うことは悪くない。
「みんな違って、みんな良い」
だから許せない、と思っても、「相手も許せないと思っているかもな」と思えばなんてことない。なんだかんだお互い様なのだ。

自分が正しい、と思うのは、ある意味脳の衰退であり、これは年齢関係なく訪れる。
ちょっとしたことで苛立つとき、許せないと思うときはら「自分の脳はバグっているのかもしれない」と思おう。

許せない相手でも生きている。
その人物を傷付ける権利は誰にもないのだ。

以上、「人は、なぜ他人を許せないのか 著者:中野信子」を読んだ、よがり論でした。

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