私が性嫌悪になった理由~いおりの場合~③ 本題

※この記事には、性的な表現や、性犯罪に関することが含まれる事があります。
今回に関しては、相当生々しいです。
トラウマのある方や、嫌悪感のある方は、ぜひ読むのをやめてください。
自己判断でお願いします。

しばらく間が空いたのですが、実生活が忙しいので、逆に息抜きを兼ねて書こうと思います。

私が性嫌悪になった理由~いおりの場合~③です。
(①.②もあります。ハッシュタグからたどれるかな?)

私が性嫌悪になった理由~いおりの場合~①前書き
私が性嫌悪になった理由~いおりの場合~②人物紹介

これで見れるのかな?

「自分が処女をいつ失ったのか、知らない件について\(^o^)/」


まず、ひとつ、私が最近知ったのは、自分は「解離性健忘」を起こしているのではないか。
という事です。

ここからは、ほかのページからの引用です。↓

「解離性健忘」とは、トラウマやストレスによって引き起こされる記憶喪失(健忘)のことで、自分にとって重要な情報が思い出せなくなります。

解離性健忘の症状

最も一般的な症状は記憶障害です。
記憶障害は以下のいずれかに関係しています。

幼少期に数カ月ないし数年にわたり虐待を受けていた経験や激しい戦闘に参加していた日々など、特定の出来事または特定の期間(限局性健忘)

ある出来事の特定の側面のみ、または一定期間中の特定の出来事のみ(選択性健忘)

参考にしたページ↓
解離性健忘症」(https://www.msdmanuals.com/ja-jp/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0/10-%E5%BF%83%E3%81%AE%E5%81%A5%E5%BA%B7%E5%95%8F%E9%A1%8C/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E7%97%87/%E8%A7%A3%E9%9B%A2%E6%80%A7%E5%81%A5%E5%BF%98)


あーー!これだわ!と思ったけど、私は実感的には思い出したくないと思っているので、それでいいかなと思っています。

ただ、「身体に現れる瞬間」「自分の常識?みたいなところに大きく影響していると感じる瞬間」があります。

あまりにも幼少期の記憶がなく、行動したことや、概要は憶えていても、「なぜそうしたのか」が思い出せない出来事が多数あります。

なので、思い出すときに、どこか他人事というか、知らない人の話をしているような気がしてしまいます。

特に、小学生のころの記憶はあんまりないです。自分が行ってたクラスとか、そのころ仲良かった子の名前とか、そういったこともあまり覚えていません。


というわけで、他人事のようにお話ししますが、本題。

「自分の処女を失ったのがいつかわからない」


そう。今から胸糞悪い話をします。


私は、いつから性被害を受けていたのかわかりませんが、男根が最後まで入った日は憶えています。
8歳ですかね。小学校1年生の時でした。

「今日は根元まで入ったね!広げた甲斐あったね!えらい!すごい!」と教祖に言われて、
「はー!あんな大きいのが自分の中に入ったんやー。」と衝撃過ぎて憶えています。
お祝いされました。胸糞悪。

と、いう事は。

最後まで(根元まで)入ってはいなかったが、それよりも前の年から、トライされていた。という事です。

※未成年(8歳)との性行為はたとえ同意(強制)があっても犯罪です。

教祖は、その学習教室の中でも所謂セクハラ(ディープキスや、指を入れられたり)だったりとかは、8歳より前からありました(つまり親がまだ離婚していなかったころ)。

親が離婚し、母親のみが保護者になってから、行為が加速します。
私を、月1.2回迎えに来て、教祖の個人宅での個人レッスンが始まったのです。

主に平日で、学校を休むことになっていました。(母親が学校に電話してた)


主な個人レッスンでの流れ


車で家に迎えに来る。

お高めのファミレスでご飯(めっちゃ写真撮られる)。(後に母親に育児放棄される私にはこの食事が生命線になる。)

車で教祖宅(山奥)に移動。

家前の雑木林で着衣で写真撮影。(これは憶えていた)

家の中で性行為(なぜかヒーリングミュージックをかけながら)(動画撮影込み。ぼやっとしか覚えていない)

申し訳程度に体の勉強と、なぜか性行為の反省会&感想(動画に残っていた。あまり覚えていない)

帰宅前スーパーによって、お菓子を買ってもらう。(後に母親に…以下略)前回撮った、着衣写真を現像したものをもらう。

「絶対親に言ってはいけないよ。親にも聞くなと言っている。もしあなたが言うと、親も、自分(教祖)もあなたも、警察に捕まることになるかもしれない」と言い含められる。

500円から1000円程度のお小遣いをもらう。(親からはお小遣いをもらえていなかったので、日々の娯楽代はこれのみが頼りだった)

車で帰宅

母親が(おそらく教祖から聞いてはいけないといわれているにもかかわらず)「今日どんなことしたの?」と聞いてくる。

私は健気にも「ひみつ」と答える。

そんな一日でした。

幼い子ころは何の疑問もなくても、小学4、5年生ごろからおかしいと気づき始めます。
性教育が始まり、「性器は自分のもの。性行為は愛し合う二人がするもの。子供を作る行為」
と知り、自分の中の嫌悪感が抑え切れずに、抵抗を始めます。

ですが、聞き入れてくれるはずもありません。
おそらく母親もグルだと、そのころには気づいていたので、母親には言えません。

抵抗して、教祖に張り手を食らい、泣きながら謝り、「(性行為を)してください」と言わされていた覚えもあります。
そして、そのこと(張り手を食らったこと)を母親に言っても、「あなたが悪いことしたんでしょ。ちゃんと謝った?許してもらえた?」と、内容を聞いてもくれません。

小学6年生の時、とうとう教祖にかたくなに謝らないという反攻に出ました。
どう頑張っても、謝ることが正しいと思えなくて、泣きながら、張り手を食らいながら、泣き叫んでいたのを覚えています。

教祖からは「反省しなさい。謝るまで許さない。個人レッスンはしてあげない。」といわれ、母親は「早く謝りなさい。」といい、
所謂「絶交」のようなことになります。

ここが起点になりました。
5.6年生の時にはすでに嫌だったので、反攻を繰り返しては謝り、そのせいで教祖からの母親に対する態度が悪くなっていきました。
それにより、母親は「娘が言うことを聞かないから、私が怒られた!」となり、所謂、体罰などの虐待や育児放棄が加速しました。
私はそれにより、家出を繰り返し、飢餓状態(育児放棄で食べさせてもらえてなかったことにより、胃が小さく腸が弱くなり食事を多くとれなくなった)は加速し、6年生の時に母親も完全な敵になったことにより絶望感から自傷行為を繰り返し、それが、父親の家に駆けこみ保護されるまで続きました。(自傷行為は高校卒業ごろまで続きます。)

余談ですか、憶えていない事ではこんなこともあったようです。

局部をドアップで撮影されたり、自ら触るように促され、触っているところを撮られたり、それに対する感想を言わされたり。

いたす前は、成人向け漫画を読まされて、「どのコマが好きか」とかその理由や、どう思ったか自分もされたいと思うか(「私もされたい」と言わなればならない暗黙の了解があった。と調書で言ったらしい。後々その記憶も消える)、などの話をさせられているところを動画撮影。

執拗に、「これは私が頼んだことで、やっていただいています」などと言わせる、言質をとる動画の撮影。

など。

はっきりしたところは覚えていないので、主に検事さんが映像確認したものを、聞いて知っての話ですけど。
今はもう、完全に全然実感のないお話です。
(高校生、調書を取っていたはじめのころは、まだ覚えていることも多かったようです)


なので、「処女いつなくした?」という話や、「経験に人数どれくらい?」
などという話が、そんなに深く話していいと思えない人から出ると、「アハハハハハ」いう反応しかできません。

みんな気軽に聞いちゃってない?
私は割としっかり忘れているけど、それでも聞かれたら、いい思いはしないから、忘れてない人とか余計つらいと思うの。
気を付けてね。


ちなみに、所謂3Pや、4Pをしたこともあります。
もちろん、教祖とほかの女の子とです。
(彼女たちも、私と同じような境遇だったのだろうと思います)

私は、性器は快感を覚えるほど発達しておらず、感覚が鈍感になっている器官でもあり、幼いころは洗脳に近いものがあったのであまり嫌がっていた記憶はないのですが、その教祖の性器やほかの女の子の性器をなめさせらるのは当時から苦手だったのは憶えています。(理由は不味いし嫌だけど、「良かったです」風の感想を言わなきゃいけなかったから)

まとめ。

こういう出来事があった事、それから、高校時代にそれを強制的に自覚させられたこと(裁判のための調書を書くにあたって知った)により、私に苦手なことがたくさん増えていきます。

・背の高い恰幅の良い、ひげの長いおじいさん・おじさんが特に怖い。(教祖がそうだった)
・何なら、恰幅の良い、自分より力のありそうな男性はみんな怖い。
・男の人と二人きりで車に乗るのが何となく嫌だ。(自分が気を許していない男性の車の助手席にいるのがたまらなく嫌です。)
・成人向け漫画の、洗脳もの・女性が行為自体に積極的なもの・恋愛要素を含まないもの・ひたすら口淫をするもの、が苦手(不思議なことに成人漫画自体は読めないことはないです)
・宗教が嫌い。
・母親と長時間同じ空間にいられない。
・自分のその時期のころの写真を見ることができない。(隙を見て、家族が所有しているものも含めて全て捨てました。)
・女性を性の対象としか見ていない男性への嫌悪感。
・なぜ自分だけ、こんな過去をもってなお、普通に生きていかなければならないのかという絶望感と自暴自棄。

そして、

・性行為自体をしたくない。いいものと思えない。
・自分が性的な目で見られている事を自覚した時点で、嫌悪感を持つ。
・「好き」というと、「性行為OKってことだよね!」となる展開が嫌すぎて、人を好きになれなくなる。
・「好き」が何なのかわからなくなり、人を好きになったことがないのではと思い始める。

という流れで、「性嫌悪」からの「ノンセクシュアル」になっていることを自覚します。


なんか、長くなると思ったけど、目的であった「性嫌悪」「ノンセクシュアル」になった理由はここで大体の概要は終わってるね。


ここから、どういう展開になるのか。
検察や、裁判や、その後の私の生きるために必要だった「乗り越えるためにやったであろうこと」は、もし需要があるなら書こうと思います。


暗い話してごめんね!

でも、現実だよ。
私の、もう変えられない過去。現実。

どこか他人事のように思うけれども、涙が出てくるのは、過去の私が可哀そうでならないから。
だと、思いたい。

記憶は、戻らないままで大丈夫です。
その時は死にたくて死にたくてたまらなかったんだろうけども、今はそう思っていた実感もなく他人事なので、不思議な感じです。

「時間が何とかしてくれる」って、言葉があるけど、その通りだなぁと思ったり。
いや、立派に記憶障害でしょ。ほかの人には当てはまらないよ!とも思ったり。

私は上記のような理由で、精神科に行けるような状況でもなく、表立った発狂などはしなかったため、自分がどんな状態になっていたか知りません。し、忘れてしまっています。
専門家じゃないので、みんなそうとは言えないけど、人間の防衛本能ってすごいなぁと思う今日この頃です。


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あと!!!

これは決して、「こんなひどい過去の人がいるんだ、私なんてまだ幸せなほうだわ」と思ってほしくて書いたわけではありません。
これは声を大にして言いたいけれど、人の不幸は人の不幸。自分の不幸は自分の不幸。そしてこれは、過去のことです。誰かに背負ってほしいとは思っていないし、そもそも、だいたい私は忘れてしまって実感がありません。
趣味もあり、ストレスとは距離を置き、今人生で一番楽しい時期くらいの勢いで生きています。

今、忘れることもできずに、苦しんでいる人・もしくは自分が、一番苦しいに決まっている。

これを読んで、そうやって思って救われるなら、なんとでも思ってくれてかまいません。

でも、そうやって思うことで、今、苦しいことを我慢しようとするのは間違っていると思います。何より、私がしてほしくありません。

これを読んで、自分を追い込んでしまう人がいないことを願っています。

文字を書くのには慣れていないので、読みにくかったらごめんなさい。読んでくれてありがとう!