私が性嫌悪になった理由~いおりの場合~②人物紹介

※この記事には、性的な表現や、性犯罪に関することが含まれる事があります。
トラウマのある方や、嫌悪感のある方は、ぜひ読むのをやめてください。
自己判断でお願いします。

私が性嫌悪になった理由~いおりの場合~②です。
(①もあります。ハッシュタグからたどれるかな?)

書き始めた勢いに乗って、もう一本書こうと思います。

まず、私の経験を知ってもらうにあたって、知っておいたほうが話がスムーズに進むだろうなー、と思うので、自己紹介・登場人物紹介をしようと思います。

胸糞悪い話がたくさん出てきます。
人のトラウマの引き金を引きかねないので、本当に、自己判断で読んでください。

ざっと自己紹介。

名前:いおり(仮名)
性別:女

年は、アラサー。

結構ものははっきり言うタイプ。母に似ている性格をしているのが自己嫌悪。
反面教師だと思って、そうならないよう、ならないよう、生きている。

幼稚園は私立のキリスト教系で意識高い系だった。小学校からは公立。
性被害を受けていたのは、6.7歳から12歳ごろまで。
始めがどんなものだったのか、記憶がないほど幼いころ。
相手は、「教祖」(仮名)。結構な年の男性。

ここでは詳しく書かないけど、幼いころからの経験が原因で、「人と性的な行為をすること」「人に性的な目で見られる・触れられること」がダメになり、それが「性嫌悪」と呼ばれるものだと最近知りました。

自分から、他人と性的な行為をしたいと思わないので、ノンセクシュアルでもあると思っています。

自己防衛本能だと思うんだけど、幼いころの記憶がほかの人よりも少ない。
特に、嫌だったこと・嫌な記憶につながることは、ふたをして、簡単には思い出せないようになっているんだと思う。
(忘れられないほど嫌だったことはおぼえている)
小学生の頃の思い出がほぼない。
小学生5.6年の時は、半不登校に。ただ、1週間5食(給食のみ)の次期もあったので、給食の時間から登校してた。
当時、身長150センチ 35キロくらいだった。
やばいと思ったときは、父の家に突撃し、ご飯食べさせてもらってた。

挿入まで至る性交渉、経験人数は、2人。


名前:父
関係:好き。信頼している。父も人と距離を置きたいタイプ。私のことを普段は「いおりさん」と呼ぶ。その距離感が好き。

私が、6歳頃に母と離婚。
ですが、割と近所に住んでいました。
私が性被害を受けていたという事は、私が18歳になるころ(事件が裁判化し、世間に報道された)まで知らなかった。
12歳のころ、耐えきれなくなって父の家に転がり込んだ私を、母から守り、育ててくれました。
あんまり家にいない人でしたが、理不尽なことは言わない、尊敬する人です。
唯一の欠点は、「母みたいな人と結婚してしまったこと」

私が思う父:
幼いころから、一人の人間として対応してくれていたと思う。
そして、私は、父の性的な一面を全く見たことがなく、また、人格者でもあったので、今の今まで「お父さんみたいな人と結婚したい」と言い続けています。
今思えば、私の中の「父」って、「私のことを性的な目で見ない人・見ない実績と信頼がある人」なんですよね。
だからかも。



名前:母
関係:好きではない。距離を置いている。たまに会う。いまだに24時間以上一緒にいること耐えられない。虐待。ネグレクト親。気分の上下が激しい。すべての元凶でもある。包丁を突きつけ大ゲンカしたこともある。

私が6歳になるころに、父とは離婚。
理由は、景気が悪くなり父の稼ぎが悪くなったことで、父が転職しようとしたこと。
父曰く「あなたと一緒に泥船には乗れない」と言われたそう。

そこから母と暮らし始めたが、地獄。
専業主婦のころは、楽器のお稽古に行ったり、絵画教室に行ったりする散財マン。
趣味は、ドライフラワーアレジメント、ピザやパンを焼き自宅に友達を呼んでお茶会することでしたが、生活が激変し子供に当たるように。

母の稼ぎと、生活保護で生きていたが、

「食事は作らない(食宅の料理キットをたのんでたが、めったに作ってくれなかった。自分で作ってた)」
「家事・洗濯等はほとんどしない(私は自分でやってた)」
「はやりもの全部禁止(アイドル・テレビ・ゲームなども)」
「お小遣いなし(一緒に買い物にもほとんど行かない。洋服はたまに会う父に買ってもらってた。たまに気分がいい時にいろいろ買ってくれることもあった。)」

そして何より、「変な宗教にはまり、教祖に私を差し出した(性的な意味で)」事により、本当に好きになれない。

私が思う母:
THE女。それも、女の悪い所を集めたような性格。プライドが高い・デリカシーがない・わがままなため、友達も少ない。
意識高い系海外かぶれで、「キリスト教」やら「シュタイナー教育」やら「スピリチュアルパワー」やらが大好き。
我慢ができず、行動的なほうなので、すぐ仕事をやめる。
自己主張強め。今でも私に平気で連絡とってくる。厚顔無恥。



名前:教祖(仮名)
関係:個人の学習教室の学長。オーラ使い?とやらで、集会を開いては、相談を聞いたり、オーラの力で病気を治したりしてた(事実かは知らない)。
母曰くすごい人。
ロリコンじじい。私が被害にあっていたころは60歳くらいのだった。
大柄で空手の段もち。金持ち。
たくさん信者がいる。信者に「勉強をさせる。必ずいい展開になるから、私を信じて娘を預けなさい」といい、多くの信者が娘を差し出した。(もちろんそんなことが行われていると知らずに差し出す親もいた)
精力旺盛。モノはでかい。バッキバキだった。経験人数3桁越え。自称テクニシャン。
自論の「穴を幼いころから広げておけば、伸縮性が増して、子供を産むときに切らないで済む。自分はそのお手伝いをしている。」は、今考えても意味不明。胸糞わるい。

児童ポルノ製造・所持:強姦:児童買春などで、後々お縄に。懲役は18年。

私が思う教祖:
今でも怖いし、くそ野郎だと思う。年が相当いってたので、今頃くたばってるんじゃないかと思えるのが心の救い。
それっぽい理由を色々つけては、性的なことを強要し、それを録画していた。
いまだにそれが、世に出るんじゃないかと怖い。

ただ、正しいことも言う人だった。
だから、幼いころ信じてしまったんだと思う。
なんせ自我が芽生えたころから、近くにいた人だったし。
これは必要なことのなんだと、最初は本気で思わされた。
出会ったのは2歳ごろ。2歳ごろには、母親がその宗教の信者だった。
教室に連れていかれてた。記憶ない。
自我が芽生えたころにはそういう関係だった人。

被害が本格的になったころ、母にご飯を作ってもらえず、お小遣いやお菓子を買ってをもらえなかった私にとっては、ライフラインでもあって、逆らうことができなかった。
いつも、そういう事があった日は、袋いっぱいのお菓子やお小遣い(1000円程度)をくれた。(月に1.2回そういう日があった)
今思えば、私の体、超安い。買い戻したい。
ざっと計算したら、150回以上抱かれてる。胸糞悪い。

教祖や教祖との行為がおかしいことだと、学校教育や、本などで知り、嫌になり、母に訴えるも相手にしてもらえず反撃を食らう。
そのまま母と距離をとったことにより、その教室に連れていかれることもなくなり、関係は自然消滅。

そのほかの人

祖母:父と暮らし始め、しばらくしてから同居開始。古い価値観の持ち主。そのことでぶつかることもある。被害のことはいまだに知らない。
祖父:多く語らない人。いい意味で空気。被害のことはいまだに知らない。
親友:すべてを知っている人。程よい距離感。いまでも連絡とってる。会える時はあう。
彼氏:17-18歳ごろの彼氏。性被害のことは話していた。2人目の人。もう名前も覚えていない。後で詳しく書くから割愛。
検察官:女性。ある日突然、家にやってきた。私を担当した検察の方は、2名いたが一人は女性。もう一人は思い出せない。(おそらく男性だったんだと思う)メインで仕切っていたのが、この女性のほうだった。名前は憶えていない。もう、連絡も取れない。連絡とりたい。セカンドレイプしてしまうことを、何度か謝ってくれたのは覚えている。

こんな感じかなー

このページは、これから書く内容で、「誰だっけこのひと」「どんな人だっけ」となった時にでも見てください。

ほぼ、あらすじというか、本筋になっちゃいましたね。

詳しいエピソードは、また、一つ一つ、整理していきたいと思います。

もっとうまく文章書けるといいんだけど・・・

いおり

文字を書くのには慣れていないので、読みにくかったらごめんなさい。読んでくれてありがとう!