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転職活動中の小説家志望

そろそろ
連載小説『あしたの転機予報は?』の登場人物、紺野と水上あたりに
さっさと更新しろよと怒られそう。
あと、少数かもしれないけれど、読んでくれている読者の方もお待たせしている。ごめんなさい。

更新のモチベーションがなくなったとかじゃなくて、むしろ書きたいのに、時間的と体力的制限がかかってしまっている。
(こうやって文章は書いているけど、文章書くと物語るとは時間と頭の使い方が別。物語を書く余力が最近作れていないのです)
物語もこれから展開する部分があるし、描きたいと思っているところもまだ描けてないので、もうちょっと待ってと、
紺野、水上、読者の皆様へと平謝り。

っていうのは
タイトルにあるとおり、私が転職活動中なわけで、
心身バタバタしている。

そして、この文章を書くのも、その心身バタバタ状態で考えたことを書き残しておきたいなという欲求が出てきたから、ここに書き記している。

もともと私は整理整頓が苦手なほうで、多大な時間とエネルギーを必要とする。
風呂敷を広げて、あれやこれやと、多方面へ思考を巡らす作業は好きなのだが、それを、収束させるのは、時間か、誰かの手助けが必要だったりする。

しゃべり、もそうで
原稿や用意されたメモ等がないと、
一旦、思いついたことを、風呂敷を広げて、広げるだけ広げてから、やっと片づけていくから、
聞き手には、不親切なしゃべり方をしているなといつも反省する。
他人より、即興で整理しながら話すのは得意ではないようだ。
(手短に話しなさいね。結論から話せとか。よく言われるから、そう言われそうなシーンでは、ちゃんと準備してから話すようにしている)

苦手なことについて話したけれど、
逆に得意だなと思うことは、(あと、性格診断系で診断されたことは)

感覚的に本質を見抜く勘所があるようだ。
表層的な問題ではなくて、根幹の問題や本質ってなんなんだろうと思うので、
ポロッと「これってつまり、こういうことじゃないん?」と言ったことについて、相手に「なるほど!」と納得されることがちょこちょこある。
そんな反面
先回りして、思考を巡らすからか、話が飛躍しすぎ、極論だと一蹴されることもままある。

全体を俯瞰的にとらえることが多いので、細かな部分のきっちりは得意ではないけれど、ざっくり流れを考えることは結構好きだ。

これまでのリーダー経験について思いめぐらす。
リーダーやること本人は望んでないけれど、なんで、そういう役回りがくるのだろうと考えたとき、本質見抜いて俯瞰的に考えるという得意要素があるからなんだろうなと最近納得した。
細々した決め事、整理整頓苦手だから、得意な人、あとよろしくって手放すのもよくある。

本人がこれやりたいと思うことと、周囲からこれ向いてるからやってほしいは、
似ているようで、必ずしも同じではないんだなということは
ここ数年の会社員歴を重ねながら実感したことだ。

そのまま、得意要素を活かして仕事していけばいいやん
って言われそうだけど、
そこに、待て待て、ストーップと止めがかかったのが現状。

ここでムクムクでてくる
物書きのサガ

そもそも、小説を書くという重労働を何年も続けているか、(誰に頼まれているわけでもなく、何の報酬もなく)っていうと、
書かずにはいられないから。

書かずにはいられないというのは、
普段の生活や仕事の判断軸だけでは、スルーされてしまいがちなこと、重要視されていないこと、スポットがあたらないこと。
それらを、そのままスルーしたくないと思ってしまうから。

仕事の成果とか、お金持ちになるとか、そういう結果だけを求める場合、
その結果に伴わない、事象に関してはスルーされるし、なるべく排除すべきものと判断されがちだけど、
そこをスルーしたくないなって思ってしまう。

これを
繊細というのか。
感受性というのか。

悩み、葛藤、失敗、弱さ、そういうものも丁寧に残しておきたい。物語りたいと思う。
一見無駄だと思うこと、避けたいと思っている事象にこそ、人間の人生を豊かにする何かがあると思っている。
一つの視点はなく、多様な視点を持っていたい。多様性を認め合いたい。そう思う。
だから、私は物語っている。
物語のクオリティとか、私の書き手としての能力によって、それがうまく伝えられている、伝えられていないとかあるだろうけれど。

筆一本で食べていけるほんのほんのほんの、一握りではないというのが、紛うことなき現実だ。
それでも、私は、書くことをやめない。物語ることをやめない。
たとえ、ペースが落ちたとしても。休むことがあったとしても。

そんな物書きのサガ、繊細さ、感受性。
今の仕事人としての私に、全力でストーップをかけている。
それは
会社員をやめろ、とかそういうことではなくて、
生き方の問題提起をしてくる。
今の自分のエネルギーの分配で、納得する生き方になっているのか?と
本質的な問いかけをしてくる。

「吉●には感謝しかないですよ」と涙ながらに言った某芸人の言葉を思い出す。
その某芸人のキャリアを築くにあたって、重要な環境だったはずで、その点に感謝はしているけれど、ある地点で、その環境の方向性と某芸人の想いにズレが生じてしまった。分岐点が起こってしまった。

私の現在の葛藤はそれに近しいものを感じる。
20代でいろいろ経験させてもらえたこと、悩み学ばせてもらったこと、本当に感謝しかない。
しかし、今、分岐点が訪れていると思う。
本質的な想い、物書き的サガを現在の環境でとなると、どうしても空気が合わない。
もちろん、現在の環境で与えられる仕事や責任と、物書き的欲求を両立するようにこれまでやってきた。
物語を創作する時間を捻出したいから、なるべく仕事は効率的に済ませた。すると、もっともっと仕事を頑張れと仕事が降ってきた。
自分ひとりでは到底できない分量や責任もあるから、チームを築いてきた。
すると、もっともっと重い責任をと求められた。
そして、チームをまとめるような立場になった。葛藤は多かったが学びは大きかった。
すると、チームのことだけでなく、もっともっと会社全体のためにいい働きをするようにと求められた。ここらで社内政治的な色合いを帯び始めてきた。
政治力を発揮するためには、この物書き的サガは相容れない。
このまま進んでもええのん? いまここ。

転職活動は、人生の問題提起に丁寧に取り組む活動だった。

活動エネルギーとは、時間的、体力的、精神的要素が絡み合う。
時間的要素は工夫によって、なんとかなってきたけれど、
体力的は20代の若さで乗り切っていた部分はなくなるかもしれない。
精神的要素は私自身が、納得しないと前向きになれないだろう。

私の活動エネルギーをうまく、そして納得できる形で発揮できる環境を今探し求めている。

物書き的サガを直接活用しなくとも、スルーしないで働けること。
また、これまで会社員として鍛えてきた能力がうまく活用できるのであればなおいいだろうな。
そういう環境を探し求め、今、歩き続けている。

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