嵐をよび、噴出するもの
台風がすごかったのは、連日のニュースであるとおりで
実際にわたしが住んでいるところも
大雨の排水が処理しきれず、道路にあふれ、浸水した。
たまたま住んでいるところの階数が高かったため難をのがれたのだが
水が引いてから、外を出てみるとあたりは泥だらけで
住民たちが困惑していた。
ここでは災害対策がどうたらこうたらとか、近頃の気候変動はどうたらこうたらとかを言うつもりはなく。
少ないけれど読んでくれている読者はお気づきのとおり
自分の連載の小説のタイトルに天気と転機をかけているくらいだから
天気と自分の心象描写の近しいものはないかと思ってしまう。
『あしたの転機予報は?』
先日
【備忘録/短編小説】若きコンノアカネの悩み
を
書きなぐっているくらいに
さいきんのわたしは揺らいでいる。
台風が来る前夜、
学生時代の友人たちに会い、素直な気持ちと本音の部分の話をした。
普段、本音の部分は、どこかに置いていて、日常を滞りなく過ごそうとしていること、それに対して、それでいいのかと問いかけること、その揺らぎがあるということを素直に認められた。
社会的な利害関係が絡まないからこそ、素直になれる安心感があった。
台風当日は
結局は予定を変更せざるをえなかったのだが、
もともと兄と兄の大切な人と会う約束をしていた。
普段、とくに親しくしているわけではないが、
やはり肉親ということもあり、生き方に迷いがある今、頼りたいと思う。
まだ会えて話せていないからなんともわからないけれど
連絡のやりとりの温かさを感じるにつけ、頼るのは兄弟だななんて思った。
台風当日はわたしだけでなく兄のところも大変なようだった。
しかし、あいまに連絡をしているときのこの心強さはなんだろう?
ときおり、停電して復旧してを繰り返す不安定な部屋
暗闇のなかでのスマホのあかり
繋がれている安心感
普段こういうのにドライなのに、
ウェットな気持ちになった。
台風が落ち着いて
外に出て、水がひいたあとの散々たる光景。
普段は綺麗に舗装されて、整えられた街が
地下から吹き上がった泥水で汚されている。
ひどい場所のお店は営業再開の見通しがつかない。
嵐が何かを壊さん勢いで突進してくるさまは、
私の中の生き方の問題提起とどこか似ていて
電気がついたり消えたり不安定なさまは、
その問題提起を向き合う私の気持ちのゆらぎであり
外身だけ綺麗にして、押さえつけられていた汚水が噴出する感じは
今の仕事で気付いた自分の立ち方を誇りに思いつつ、それでは創作へのエネルギーが足りないというフラストレーションが噴出しているに似ている。
休業を余儀なくされるお店たちは
普段の仕事の緊張感から解放し、休みにしっかり内省したい私にそっくりだ。
台風と私は
因果関係なんてないけれど
どうしても重ね合わせて見えてしまった。
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