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お店の未来を考える前に、お店の過去の話

お店の未来を考えるというお題を考えたとき、
パッと浮かんだのはお店の過去というキーワード

未来があるということは過去があるということ。
新しいものが生まれると同時に衰退してなくなってしまうものがあるということ。

私はお店を閉めたときの光景を思い出す。

この場所で商売をやることがステータスなのだと
祖父母は田舎から都会へ出てきて、婦人服の店をはじめた。
確かにその場所は、有名な文学作品の舞台になったり、裕福な商家のまち。歴史的に見て確かにステータスとなるような場所だった。史実として私はそのことを知る。

高度経済成長期、モノを作れば売れる時代。
もちろん何もかもがスムーズにいったわけでもないだろうし、紆余曲折あったのだろうけど、お店を大きくし、商売は結果的に繁盛していた時代があった。

上記は伝聞。実際にその光景を見ていたわけではない。

そこからときは流れ
父母がその店を受け継いだ。
ここからおぼろげながら、私の記憶が始まる。平成の時代。経済も低迷している時代。
できた当時は近代的で華やかな場所であっただろうそのビルは時間の経過とともに、どんどんと古くなっている。昭和の産物でも言うべきか。
そして、そこに入っている個人商店も時代の変化のあおりをうけて、活気がない。人通りがなく増えていくシャッター。
父母の店ももちろん商売の見通しは明るくない。
なんとか工夫できないものかと父は考え、店舗での商売だけではなく、その頃普及しはじめたパソコンでお店のHPをつくった。HPをつくるための本をみながら、デジタルカメラで服を撮影してHPに載せてと試行錯誤していた様子を思い出す。
店の服はふくよかなご婦人向けの服を販売しているので、そのふくよかなサイズを着た看板娘ならぬ看板マネキンを置いた。さとちゃん。ふっくらしていてなんか安心感のあるマネキン。
さとちゃんのお店。そのキャラクターをHPに押し出した。
HP経由で注文を受けて、喜ぶ父の姿。
今のようにSNSがあるわけでもない、スマホがあるわけでもない。まだまだインターネットを活用しているのは一部の人々だった時代。宣伝難しかったんじゃないかな。
「時代の流れを見ながら考えないと」と言った父の工夫もむなしく、それで大幅に状況が改善されるほど甘くはなかった。

「斜陽産業やとは思ってたけど、ここまで早いとはなあ。もう少し食い止められると思ってたんやけど、甘くはなかったわ」

そんな父の背に私は哀愁を感じた。
でも確かに、服を買おうと思って、個人商店に行くこともあまりないし、大型のショッピングモールに行くことが大多数だろう。
時代の流れの必然性だよなと当時、小学生の私は思った。

別の仕事をするとして、婦人服の店を閉める決断をした父母。
閉店セールと書かれたオレンジの紙がたくさん貼られた店。嫁入りということで別のお店に旅立っていったさとちゃん。

「店を閉める時期を工夫したら、服の在庫だけでなく、ハンガーも、机も椅子もそして電話機までも、関係ないものまで、貰い手がみつかったわ。気持ちいいくらいにすっからかん」

父はカラリと笑いながら言った。その明るさがなんだか切なかった。

あんなに服が溢れていて、狭い店だなと思っていたところが、こんなに広い場所だったんだなって、がらんと空っぽになった空間を見て、なんだか、わからない寂しさ感じた。
店に遊びに行って教えてもらったシャッターを閉める方法を無意味に覚えている。
先端が曲がった長い金属棒をフックに掛けてひっぱって下ろし、手元まで持ってきたシャッターを、ガラガラガラガラガラガラ、ピシャンと閉じる音、閉まったシャッターに鍵をかけるのも、少し硬くてコツが必要だったこと、その感触。そういうどうでもいいことを今でもよく覚えている。

閉ざされたシャッター。祖父母と父母の物語の一幕が閉じられた、ひとつの時代が終わった象徴だった。

また時は流れ、

私が社会人として就職した先の会社は、ビルの空きテナントをはじめ、使われなくなった空間を会議室やホールにして、企業に貸し出すビジネスをしている。そして、それがニーズがあるのか、そのビジネス形態は空きテナントにとどまらず、ビルまるまる一棟、ホテル、保養所などの遊休資産を活用してビジネスを展開し拡大している。
衰退していっている何かを吸収したり買収したり、看板を塗り替えたりするような立場の組織にいて、その中で私はあくせく働いている。
弱肉強食な世界で、何かを食らうような組織の中にいて、少し皮肉を感じなくもない。
しかし、私はそれでご飯を食べさせてもらっているという現実。

お店の未来について思いを馳せる。

「お店」と言って私がイメージするのは、そういうバッググラウンドもあり個人商店。

思うのは、個人商店とか、そういう小さなお店は個人や家族の物語がより濃く内包されていると。
利便性とか効率性を追求した社会は求められているし、これからもどんどんと追及されていくのだろう。インターネットで便利になった、買い物でもなんでもオンライン上で済んでしまうこのご時世。リアル店舗の必要性も揺らいでくるかもしれない。
時代の流れで消えそうになる小さなお店も多いだろう。でもその小さな店には物語が確かにある。
そういう物語があるからこそ、小さな「お店」を応援したくなるのではないかと思う。

このnoteを始め、物語を発信するツールはどんどん増えている。

小さなお店達が生き残ったり、新しく生まれていくためには、独自の物語があったほうがいいのではと思う。
応援したいなと思うお店はその店にかかわる人の素顔や考えや物語が見えていることが多い。その世界観を支持したいと思わせてくれる。
魅せ方、語り方でお店の可能性はいかようにでも工夫できる時代だと思う。そこに確かな情熱があれば、想いがあれば、ちゃんと伝われば響く。

そんな時代だと思う。

インターネットの利便性はリアルな店舗を脅かしもするけれど、普通だったらなかなか届かないところまで、物語を届けてくれる側面もある。

お店で何を売るかも大切だけど、どんな世界観を大切にしているか、どういう物語があるかを伝える工夫が必要になってきていると思う。


話はかわるけど

ヘッダーの写真とか、下の写真とかそうなんだけど、ちかくに応援したいお店ができた。

coyamaさん

もともと印刷工場だった昔ながらな一軒家をリノベーションしてブックカフェにしたお店。

Twitterやらなんやら、トンカントンカンと出来上がるまでの工程があって、すごく面白い。
落ち着いたなんか懐かしい空間で癒される。
ゆっくり読書できる空間でたびたびお邪魔したいと思う。


こんな感じでコーヒー飲みつつ、写真の本を夢中になって読んでいた。

こういう懐かしい感じ、温かみのある感じ、すごくいいと思う。
何もかもが新しく見たことのない何かが生まれるというわけでもなく、
過去の面影や物語が見える安心感が増えて欲しいな

そういう小さなお店がたくさんできる未来であってほしいな、そんなことを一物書きな私は思った。

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