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ものかきなふたりが惹かれ合うとき。ロマンと現実を両立させて

先日結婚してちょうど1年たった。
夫と出会って結婚できたことのありがたさを思う。
夫と出会ったきっかけはいわゆる婚活だった。
自分が行動を起こして、パートナーを探し求めることができたことは本当によかったと思う。
あの時の自分をほめてあげたいと思う。

もともと
結婚そのものに対する大きな憧れや理想を描いていたわけではなかった。
それよりも、二十代は夢を追い求めることの優先順位が高かった。
同世代の女の子たちが恋愛や婚活のための行動を盛んにやっているときに、自分は「小説家になりたい」と夢を追いかけていた。
その人生の優先順位の問題で、恋活や婚活という観点では出遅れていたという部分があった。
実際に、公募小説に応募するための小説を書くからと、部屋に籠っていて出会いを探す気力がなかった時期もあるし、人並みに人を好きになることがあれど、恋愛市場の最前線でいつも戦っている女子と競合したときに、自分が簡単に好きになるような”モテるタイプ”を獲得できるほどの恋愛スキルは持ち合わせていなかったし、また、恋愛チャンスがきたら、タイミングをばっちりつかみ取る要領のよさもなかったなあと思う。

小説を書くこと、エッセイを書くこと、そういうクリエイティブな時間を持つことが自分らしさであり、まだまっすぐに夢を信じている二十代だったからそひたむきだった。
そんな中、自分の生活も守っていかなければならないので、
自分の食い扶持を稼げるくらいには仕事をがんばり、平行して作家になる夢のために創作をしていた。
残されたリソースでは、なかなか恋愛上手にならなかったなあと振り返って思う。
これは私のキャパシティの問題でもある。

ただ、一人で生きていくには心もとない。心許した誰かと一緒のほうが自分もご機嫌に生きていけるのではないか。
人生を共に歩むことができるパートナーを早く見つけたいなと思っていた。
人生を共に歩むという観点で結婚相手を探そうと思った。

年齢を重ねていって、周囲が結婚し始めてきた時期に、自分もパートナーを探して動き始めたときには、リアルのコミュニティで相手を探すには出遅れていた節があった。
みな心当たりある人は結婚していたり、婚約者や真剣交際の相手がいることが多かった。

パートナー探しとは難しいものだ。
過去には学生からの知り合いのつながりや、仕事で出会ったつながりなどのリアルコミュニティの延長で好きな人が現れるものの、なかなか両想いになれない、長続きする恋愛に恵まれない。
じゃあ、次なる行動ということで、出会いを探しにマッチングアプリに繰り出した。
共通の知り合いのいないところから、距離をつめていくのはなかなか骨が折れる作業だった。
よくも悪くもカジュアルな出会いで、下心丸出しの人もいたから、そこを見極めながら、メッセージをやりとりするだけでも疲弊してしまう。
そんなことを繰り返していた。
デートにつながるくらいまではいっても、そこからお付き合いするという段階に行くのはなかなか大変だった。
それからようやく付き合えたと思っても、相手には私ほどの真剣な想いがなかったので、そこですれ違っていった。
マッチングアプリは出会いを簡単にしたけれど、
真剣な想いで付き合える相手と出会う難易度はむしろ上がっているのではないかと思う。

夫と出会う少し前まで、別の人と付き合っていた。
その人との出会いはマッチングアプリだった。付き合っていたものの、将来を考えるほどまでの深いつながりにならず、相手のほうが私のことをそんなに好きじゃないんだなと感じられた。
限られたひととき、一緒に過ごす相手は見つかれど、一緒に人生を歩みたいと双方が思える人と出会えるのはなかなか難しい。
その相手がフェードアウトしつつあったので、本腰をいれてパートナーを探さなければという危機感があった。
真剣に将来を考えられる関係性を求めるのなら、男女ともに結婚相手を探しているという場で探すほうがよいのではないかと思った。

そこで、好きなライターさんが紹介していた婚活サイトに登録した。
そのサービスは一風変わっていて、女性側からしかメッセージをスタートすることができないもので、男性側は女性からメッセージが来なければ女性のプロフィールを見ることもできないというものだった。
その仕組みが面白かった。
マッチングアプリだと女性側は下心しかない男性含め、さまざまなメッセージがくる中から選んでやりとりをする受け身の姿勢になりがちなのだが、
このサービスは自分からアプローチをしなければそもそもはじまらないというものだった。
マッチングアプリのやりとりを捌くことに疲れていた私にとっては、
シンプルで自分の行動力だけが試されるので本気の相手探しのツールとしては、ありだと思った。
そこで様々な男性のプロフィールを見て気になる人にメッセージを送っていった。
そして、その中に夫がいた。

いろんな男性のプロフィールを見てメッセージを送っていったが、記載された内容に一番興味を持ったのが夫のプロフィールだった。
プロフィール上では婚活サービスにありがちな、年齢、年収などの条件の羅列ももちろんあったものの、その条件面というより、自己紹介として記載されていた文章が気になったのだ。
その自己紹介によると、現在は仕事としてやっていないが、過去に小説家としてデビューしていたことがあるということが記載されていた。
プロフィールには、現在の会社員としての仕事のことも書かれていたが、
それよりも過去に小説を書く仕事をしていたことの誇りと、創作に情熱を持っていたこと、そこにその人のアイデンティティがありそうだということが読み取れた。

私も小説家になりたいと思って、公募小説に応募してチャレンジしていた時期もあったから、純粋にデビューをしたことがある元小説家というのには興味をそそられた。
マッチングして相手から返事がきて、メッセージのやりとりがつづく。お互いに会いませんかという話になった。
まぁでも、そういうクリエイティブな人って、くせ強そうな人多そうだしなーなんて思いながら、(自分も小説を書くような人間だから人のことも言えないのだけども)会う約束をした。
また、マッチングアプリをしていたときも、期待をしても何かしらの期待外れで失望するみたいなことをたくさん経験したから、あまり期待しないでおこうと思いながら初対面をむかえた。

実際に会って話してみると、
話の波長は合うし、お互いがお互いのことをもっと知りたいなと思った。
夜ごはんを食べていたのだが、2軒目も行きましょうとなった。
最初は、仕事は何をしているのかや、休みの日の過ごし方など、ありふれた話だったのだが、そこからお互いの学生時代の話になり、家族の話になり、初対面ではなかなか話さないディープな話題まで話した。
一応婚活サービスだからということもあったのだが、結婚生活をどうしたいかとかいう話もじっくりすることができた。
これまで、はじめましての出会いの場で会う男性の中でこれほどまで話が合う人もいなかったし、こんなにスムーズに出会えるんだとあっけにとられたものだった。
初対面でお互いに好印象を抱いたから、そこから2,3回デートして、「結婚を視野にお付き合いしましょう」となり、そこから約半年後にプロポーズされその3か月後に入籍となかなかテンポよく進んだ。
これまであまり恋愛うまくいかなかったから、こんなに順調に展開していったのは幸せで嬉しかった。
失敗もふくめて、恋愛修行を経たうえで、
結婚相手を探す覚悟を決めて、自分で行動を決断したことが良い縁につながったのだと思っている。

小説書きとか、クリエイティブなことをしている人をパートナーにしたいと思っていたわけではないけれど、結果的に、そのようなタイプにご縁があった。

お互いに尊重できる人がいいな、お互いに好きだと思える相手がいいなとそういう抽象的なイメージでしかなかった理想のパートナー像だった。

何を尊重してほしいのかと深堀れば、
「小説を書いている自分」「エッセイで自己表現をしている自分」
そんなクリエイティブで自由な自分のアイデンティティを尊重してほしいということではないか。
夫も、現在はそこまでの情熱がないにしても
過去にそういうクリエイティブで自由な自分の羽を伸ばして世界を描いていたこと、
その情熱を大切にしていたことが痛いほどわかったし、
そんな相手に出会えたのが嬉しかった。
それまでいいご縁に恵まれなかったのは
物書きな趣向をもつ自分が、同じ部分で敬意を払える夫のようなタイプと出会うために機が熟すまで待たされていたのではないかと今では思っている。

同じクリエイティブな情熱を持っていた同士として近しい部分はあるのだが、
夫と私は似ているかというと、似ていないことのほうが多い。
夫は几帳面で丁寧なタイプで、私はおおざっぱでめんどくさがりなタイプだ。
夫はオタクタイプだが、私は飽き性だ。
ふたりの共通の趣味もない。

お互いに小説を書いているけれど
作品のタイプは全然違うし、好きな小説は何かでも話は合わない。
物書き論という話になろうものなら、お互いの執筆スタイルや大切にしていることが異なりすぎて、共感ができず、議論するとどちらも平行線になってしまう。

それでも根本の部分で通じ合える嬉しさがある。
表現方法や好みの世界観は違えども、
自分で0から1で物語をつくることと、自分の文章で自己表現をするおもしろさの共感があるのだ。

私が何故、小説を書くのかというと、
自分の書いた作品で人の心を動かしたい、そういう力のある作品を書きたいと望んでいるからだった。
夫も自分の好きな世界やテーマを小説で表現したいという欲求があり、好きが高じて小説家になった部分がある。
それぞれ、小説のジャンルが異なるのだけども、創作に対する情熱やロマンを持っていたことに関しては共感できる部分だ。

夫も私も創作者としての尊厳に関わる憤りを、同じような体験で感じたことがある。
むかし、私は友人に「そろそろ夢ばっかり見ずに、結婚相手を探すなり、現実を見たら」と言われて小説を書いて小説家を目指していることをバカにされ、すごくむかついたことがあった。
夫も、婚活の出会いの場で「あなたが書いているジャンルの小説はくだらないですよね」と失礼なことを言われたことがあるらしい。

また、一方で、
夫も私も創作に熱中するあまり、他の人を蔑ろにしてしまった経験もある。
むかし、私は初めての応募する公募小説の締め切りが近くて余裕がなくて、当時付き合っていた恋人のデートをキャンセルしたり、連絡をとらなくなったことがあった。
夫も、昔の恋人に「小説と私どっちが大事なの?」と怒られたことがあったらしい。
創作に夢中になってしまって、他の優先順位を変えてしまう不器用さから失敗した共通の経験だった。

そんな創作者としての共感や共通の経験もありながら、
一番、結婚の決め手となったのは
お互い、「現実的に折り合いを付けられるバランス感覚」だった。

夫も私も
創作することに対して、ロマンを感じる部分や理想を掲げる部分はありながらも、
理想や夢だけでは生きていけないという厳しさをきちんと受け止めている。
その中で折り合いをつけて現実的な選択をするという行動をしている。

夫はむかし、会社員をしながら兼業作家としてデビューしていたのだが、現在は作家業自体をやめて、会社員の仕事だけをしている。
夫は作家デビューしていたときのことを、そこまで多く語るわけではないのだが、「好きなことして食べていく」厳しさを知ったという。仕事にすることによって精神的に追い詰められるものがあったという。またその作家業だけで食べていけることができるのは、かなり一握りであることも実感したという。それである段階で、舵をきり、会社員の仕事に集中して収入を上げることにしたという。

私は私で、作家デビューしたいと思って、公募小説を書きながら夢を追っていた。でも、そのころ、周囲の友達は手堅くライフステージを進めていて、自分はずっと夢を追っているが、それが叶うかどうかわからないし、
夢を追いかけすぎて、進めたいライフステージを進めることができなくなるのは怖いという気持ちもあった。
だから、きちんと会社員としての仕事もしつつ、パートナー探しをするために、一時期は創作活動の優先順位を下げて恋活と婚活していた。
フィクションの物語を進めるのも面白いけど、自分自身のリアルのノンフィクションの物語を進めることも私にとっては大事だった。

夢だけ追うと、犠牲になるかもしれない厳しい現実を夫も私も直視した。
その現実の世界での生存戦略をどう考えるかと考えたときに、社会で通用する自分のスキルを最大限に活かして会社員として堅実に仕事をしながら、パートナー探ししていたことになる。
夢や理想だけではなく、現実を堅実に歩むことをお互いしていた。


夢を見るだけでなく現実をきちんと目を背けずに適応していける頼もしさを
夫に感じた。
また夫もパートナーとして私のこれまでの現実的な選択を
ある程度評価していると思う。

結婚生活は現実だ。
どうやってふたりで食べていくのか、家族計画はどのようにするのか、ふたりで築き上げるライフスタイルはどのようなものか。
それを実現するには何をすればいいのか。
そのためにお互いにできることは何なのか。

まだ付き合う前、
夫は理想のパートナーとはどんな人かについて語っていた。
「背中を預けあえるようなパートナーが欲しい」
そんな風に語っていた。
私も一人でたくましく生きるというよりは、だれかと一緒のほうが心強いと思っていた。
だから夫の語るように、互いの背中を預け合い、こっちの領域は私が頑張るからね、あなたはそっちを頼むみたいに、信頼をし合いながら、なくてはならない心強いパートナーになりたいと思った。

お互い惹かれ合うきっかけとして
創作者がもつロマンというものがあったのだけど、
それだけでなく
一緒に人生を歩むパートナーとして
お互いにたくましさを感じられる部分があった。

だから、
自分は相手とパートナーシップを結ぶにあたり
何を提供することができるのか
そんなことを付き合いの中で考えてきた。
そのお互いの結論が
結婚して一緒に人生を歩みましょうという答えだった。

夫も私も、自分が納得するパートナーが見つからなければ、一人で生きていく覚悟もしていた。
相手探しの大変さもよくわかっていたから、納得するまで行動した結果なら受け止めるまでだと思っていた。
だから、本当に夫と出会えたことは私にとって幸運なことだったし、夫も同じように思っていてくれると思う。

「この人と一緒なら、乗り越えていける。良い関係を築いていける」
結婚して1年たつが
その気持ちはお互いに変わっていない。
これからさき
夫婦生活を続けていくうえで、試練があったり、すれ違うこともあるのかもしれない。
そのときに結婚を決意したときのこの気持ちを忘れず持ち続けられるといいなと思う。


今回、
創作大賞が開催されるにあたり
私はこの「エッセイ」と「小説」を書いていた。
夫に
「創作大賞のために、小説とエッセイをがんばって間に合わせたいんだ」と言えば、
「それは悔いのないように頑張って」と応援してくれ
作品づくりに集中するあまり、手が回っていなかった家事を快く引き受けてくれたり、
自由に表現したいクリエイターとしてのアイデンティティを尊重してくれたことに深い感謝をしている。

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