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ひよっこ編集者、はじめて記事を書く。

ひよっこ編集者の前回の記事が好評で続編を書きます。
引き続き、また当たり前なことしか書かないのですが、生まれたてのひよっこからしたら新鮮で仕方がないことを、感じたまま書いていきます。


前回の記事はこちら

note編集部のお気に入りマガジンに記事を入れていただいたようで、
普段書いている記事とはくらべものにならないくらい、PV数があり、スキもたくさんいただきました。嬉しかったです。
その記事をフックに他の記事を読んでいただいた方もいて、それも嬉しかったです。noteってストックされていくのがいいよなと思います。
こういうことがあると、また続けて書いていきたいなと思った次第です。


1、文字を起こし、記事にしていく。

パン職人のインタビュー内容を記事にしていく。
取材の場でタイピングした内容をもとに、先輩編集と記事の構成をどうするかの相談をして、大枠の構成がまとまる。
インタビュー内容は当日その場でタイピングしているので、決めた大枠の構成と、そのタイピングメモをもとに文字を起こしていく。
取材のときに、パン職人の許可をもらって、録音はさせてもらっているが、その録音内容をそのまま文字起こしするのではなく、あやふやな部分を確認するときなど補助的に使った。

そもそも記事を書くということについて考えてみたい。

noteでエッセイや小説を趣味で書いているくらいに、個人的に文章を書くことは好きなほうだといえる。
趣味の文章は、思いのまま、筆が進むまま、タイピングが進むまま書いているからこそ、
それは自己表現であるからこそ、なんのプレッシャーもない。

そもそも私がいつも書いている文章のスタイルがほんまにそれでいいんやろうかと、初めての記事を書く前に躊躇した。
雑誌の記事は、当たり前だが、私の表現の場というわけではないということをわきまえている。

編集として、伝えるべき情報を伝えたい人に向けて、どうしたらわかりやすく伝わるだろうかと考えることが第一だ。

そう考えると、なかなかに記事を書き始めるのに悩む。
ということで、過去の雑誌のバックナンバーを見て、先輩編集者たちがどう書いてきたかを参考にする。
参考にしながら、これでいいんやろうかと悩み悩み書き始める。少しずつ筆が乗ってくる。

どんな文章もそうだが、書き始めがなかなか難しい。
書き始まってしまえば、そのまま流れに身を任せるように、書き進めることができる。

なんとなく、書くべき内容を盛り込み、書き上げたところで先輩編集に原稿を読んでもらう。


2、書き上げた原稿をブラッシュアップしていく。

細かな言い回しの修正なども含め、赤字が入って戻ってくる。
もちろん、先輩編集に原稿を渡すまえに、私のほうで、何回も読み直し、推敲は重ねたけれども、
自分では気づかなかった修正が、こんなにもあるもんだなっと関心する。
自分で書いた文章を自分で修正するって難しいのだなと思う。

先輩編集のコメントで、記事の最初のあたりが違和感があるとズバリ指摘される。逆に筆が乗って書いていたところはいいねと言われる。
やはり、本人でも探り探り、こんな感じでいいのだろうかと記事を書き始めているのがバレる。
また、noteのエッセイを書いているときもそうなんだけど、私の文章は、冗長になりがちな部分がある。
だから、なるべくシンプルにわかりやすい文章にしなければと気負い過ぎたのだ。すると、最初のほうの文章がブツっ、ブツっと切れすぎているよと指摘される。
文章を書く波に乗り始めた中盤からはいい感じなのに、序盤が不自然だったようだ。
先輩編集の赤字修正はごもっともだった。

それに、なるべくシンプルな文章がいいかなと思って書いているところについて、表現が冷たすぎるところがあると言われる。
取材した側として、もっと熱量高く感動した部分があっただろう、そこはもっと膨らませて書かないとと指摘される。

また、取材で込み入った話を聞くと、必ずしもポジティブな話ばかりではない。
ネガティブな話だったとしても、それをそのまま表現するのではなく、ネガティブスタートとしても読後ポジティブにとらえられるような表現の工夫をしたほうがいいと指摘される。

何かを厳しく追及する記事ならまだしも、そもそも業界全体を応援するための記事だと思えば、表現の仕方が変わるはずだと。

指摘のすべてが、なるほどと納得する。

第三者が添削することでどんどんブラッシュアップしていく。
記事がどんどんと素敵なものになっていく過程を見る。
いろんな人の目を通される緊張感を感じながら、そうでもして手間暇をかけないと、多くの人に見てもらうようなクオリティにならないよなと納得する。

指摘をしながらも、先輩編集は、
まあ、私はこう思うのだけど、あくまで参考で、あなたがどう表現するかも考えてねと言われる。

ひよっこ編集の私にしては、納得しっぱなしなのだが、
先輩いわく、慣れてきたら、他の人はこういうけれど、私はこれで通したいとか出てくるから、参考にしつつも、貫くというのも場合によってはありだとのこと。

編集とは、いろんな素材を集めて、いろんな人の意見を聞きながら、完成までもっていかなければならない。
その調整で苦労することは多いようだ。
それが編集者の仕事の醍醐味なんだろうなと思った。

3、インタビュー記事のタイトルを考える。

取材する前に、事前の情報収集から得たイメージと
実際に取材してみたイメージが異なることを体感した。

もともと取材前に仮のタイトルをつけていたのだが、そのタイトルではどうしても違うから、別のタイトルを考えることになる。
最初に考えたタイトルにどうしても引っ張られてしまう。
他のタイトル案がないだろうかとしばらく悩む。

文章であれば、多少長くなっても問題ないが、
タイトルは端的に表現して、バシッと決めなければならない。
タイトルで興味付けをしなければ、長々したインタビュー記事を読んでもらえないかもしれない。

記事をああだこうだと、考えてからか、盛り込みたいキーワードがたくさん思いついて収集がつかない。
とはいえ、タイトルの文字数は限られている。
どう取捨選択するか。

ああでもない、こうでもないと悩んで、いくつか案を出すも決めきれず、先輩編集の意見を聞いて、決める。

タイトルをつけるって、
いろいろ描いてきた龍の目を最後に入れるような緊張感があった。

こうして、初のインタビュー記事が出来上がった。


ほんとは、誌面の写真を選ぶのに悩んだとかもあったのですが、文章が長くなってきたので、このあたりで。
また、別項目で書ければなと。

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