見出し画像

身の丈について考える

最近、時間に余裕があるから、思考をあちこち巡らすことが多い。
そこで出てきた「身の丈に合う」というキーワード。
そのことについてつらつら書きたい。

身の丈に合う:
衣服などが背丈、体の大きさにぴったり合っているさまなどを意味する語。転じて「分相応」という意味で用いられることも多い。

分相応:
その人の能力や地位にふさわしい・こと(さま)

最近、身の丈について考える。
分相応とはなにか?と
どうせ私なんて……みたいなネガティブな感じではない。
どちらかというと、ポジティブに捉えている。

身の丈に合うっていうのが、衣服などが背丈に合っている。
つまり似合っているということ。
往々にして、ファッションはその人の良さを際立たせ、かっこいいとか、かわいいとかを演出する。

私の脳内イメージでは・・・
身の丈に合っている

うまく衣服を着こなしている

その人が一番自然で良く見える状態

身の丈に合っている状態になるために、数々の挫折や回り道をしているのではないかと最近考える。

もちろん小さな成功体験もあるけれど
それ以上に失敗体験のほうがずっと心に残っている。
だから、よく挫折や失敗しているなあと思う。
志すものはだいたい叶わないし。
期待を持ったものはだいたい外れるし。

さて失敗事例からいこうか。

志望校はことごとく落ちている。
中学校、大学と、受験では第一志望には受かっていない。
実力にくらべて志が高すぎたのだろう、またそこまで自分の実力を高められなかったのだろう。

公募小説や、コンテストや
そういう創作物を出すものも、だいたい賞まで叶わない。
いい作品風を気取って書いてみるものの、突き抜けていないんだよな。結局。

好きな男の子には結構振られる。
恋愛感情(期待)が盛り上がりすぎたものこそ、だいたいうまくいかない。
現実ではなく、幻想に溺れるというやつ。

職探しは、ここぞと思い臨んだところは
誠に残念ではございますが、ご希望に添いかねる結果となりました…etc
求めているのと、提供できるもののミスマッチということ。

じゃあ次に小さな成功体験(っといってもいいのかどうか?だが)

第一志望じゃなかったけど……
中学高校はのびのびした校風で作文書く機会が多く楽しかった。
成績も学内では平均以上だった。たまにいい点数成績をとったときは褒められた。
大学ものびのびしていたし、なによりも楽しかった。

公募小説、コンテスト何かに選ばれたことはないけど……
作文で友人を泣かせたことがある。(感動したと)
文章好き、物語面白かったと言ってくれる友人がいる。
noteサポートいただいたことがある。

好きな男の子には振られるけど……
穏やかな時間を一緒に過ごしてくれる別の人がいるときもある。それに友人のあたたかみとか。
正気を取り戻すと、それはいいネタだったと思うし、物語に埋葬することもある。作り手としてはいいネタ、いい感情の波、ありがとうと思う。

職探しはそうは簡単にいかなかったけど……
最初のキャリアはまわりと比べると長く続いたほうだし、それなりにやりがいのあるポジションと仕事もできた。
何よりも、東京にくるきっかけだったのはいいことだったのではと思う。
次のキャリアの縁も予想外だったけれど、面白そうと好奇心が刺激されている。(実際どうかというのはこれから確かめなければだが)

そう、結局は
失敗と思えた出来事も、失敗のあとの結果は
私の身の丈にあっていたんだなと実感することも多い。

これはひとによるのだろうけど、
私の場合は、
強い期待や思い入れを持たないことのほうが上手くいく。

よく勝ちパターンというか、
勝つために戦略的になって、ゴールから逆算しなさいとよく言われるけれど、
その勝ちパターンをうまく使いこなせる人と、そうじゃない人別れるんじゃないかな。
私の場合はその逆算パターンはうまく使いこなせない。
たぶん、自分に対する期待値を大きくしてしまうからこそ、うまく機能しないのだと。

負けず嫌いだけど(だから一生懸命努力するけど)、負け続けてきた。

そんな傾向を経験値から算出することができる。
そうすると
「あ、これ、たぶん、自分がこれだけ期待しすぎているから、そのとおりにならないパターンだ」というのも
わかってくる。
そして、それは残念ながら当たる。

そもそも、勝ち負けジャッジされる競争はあまり得意じゃないのではないかと思っている。

そして、失敗からの、結果よかったねってなった出来事の傾向としては
競争や勝ち負けステージではなく、
みんながやらないから、私やるとか、あまり誰もやってなかったけど、ためしにやってみるか(さほど結果に期待していない)のほうがうまくいっている。
誰もやってなかったから、差別化されて特別視されて、尊重されるパターン。
既存のレーンから外れて、別の道作ったよみたいな。
人混みしんどいから、空いている道にでてきたよみたいな。
そのパターンに良さというのは働くようになって特に感じるようになった。
私の仕事の勝ちパターンというより、生き残りパターンだった。

そして、それこそが身の丈じゃないかって。
自分の能力を無理なく活用していたら、その道が続いているみたいな。
まあでも、
その仕事も身の丈に合わなくなってきたなと思ったから仕事を変える決断をしたわけで。

競い合ってポジションを勝ち取って、自分のカラーで支配するより、
あまり誰からも目をつけられていないからこそ真っ白くて、自由に創造できて実験的なカラーを出せるほうが好きだ。

そんな性質だからこそ、飽きずにエッセイ書いたり、小説書いたりしてるんじゃないかと思う。

なので、
もし、これを読んでいる人で
競争にさらされて負けちゃった、競争のさなかで疲弊しちゃったという人がいるならば
別の身の丈があるんじゃないかって思ってみれば
気楽になれるんじゃないかと。

そして、身の丈にあった生き方は、伸びやかで美しい。
無理なく、余裕を持てるともっと美しい。

競争にさらされることが多い世の中だからこそ、
そんな一言を私は言いたい。



いいなあと思ったらぜひポチっとしていただけると喜びます。更新の励みになります。また今後も読んでいただけるとうれしいです。