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将来の夢は?の絵作文。その影響力

あれはいつの話だったか。
たぶん、小学校1年生か2年生の頃だったと思う。
国語の授業かなにかで、作文(絵作文)の宿題が出されて、そのお題が将来の夢についてだった。
今、自分の人生の核になりつつある想いの原点をたどると、この小学校の課題のことを思い出す。


本題に入るまえに……
小さい頃はよく、大人たちから、将来は何になりたいですか?と聞かれたものだ。
幼い記憶でいうと、通っていた幼稚園で、誕生日を迎えるとき、開いてもらうお誕生日パーティーで
その月の誕生日の園児達が、みんなの前に出て、お誕生日おめでとうと言われる。
先生に「◯◯ちゃんは将来何になりたいですか?」とお決まりの質問を毎年投げかけられる。
たしか、幼稚園児の私が答えた答えはたしか、「ケーキ屋さん」、「お花屋さん」、「おねえさん」だったと思う。(おねえさんは年齢が上がれば必然的になるものだけど)
こんな風に、毎年毎年、答えは変わる。子どもはたぶん、その日常の”今”を大切にしているのだと思う。
ケーキ屋さんと答えたときは、近所によく通うケーキ屋さんがあって、私は生クリームでウサギが型どられたショートケーキが好きだった。たぶん、だからケーキ屋さんと言っていた。
お花屋さんと答えたときも、近所にお花屋さんがあったからで、興味を持ったのだと思う。
おねえさんと答えたときは、たぶん、かっこいいなと思う身近な年上の女の子がいたのだと思う。
日常で触れる身近な何かに憧れて、将来の夢と言うのだ。
子どもの成長とともに、見える世界はどんどん変わっていくから、将来の夢としてあげるものも変わっていく。
今、見える世界はどんどんと変わっていくから、だから将来の夢も変幻自在に変わる。


小学校の作文の話に戻る。
幼稚園児の私から、すこし、おねえさんになった小学校低学年の私は、将来の夢の絵作文に向き合っていた。
「将来の夢は?」と口頭で質問されていたのなら、パッと思いついたものを短絡的に答えるのだろうけれど、それを文章と絵で説明しろと言われると、きちんと考えなきゃなと子ども心に思った。
たぶん、人生ではじめて、将来の進路(少しおおげさか)を悩んだ経験だと思う。
じっくり考えてみたけれど、ピンとくる答えが見つからなかった私は、母親に尋ねた。

「私の将来の夢、何がいいと思う?」

作文用紙を前に、うーんと悩んでいる娘を見て母は言った。
「作家さんは? 小説家とか?」

「さっかさん? しょうせつか? それなに?」
当時の私は作家という言葉も小説家という言葉も知らなかった。

「文章書くお仕事。物語をつくったりするお仕事をしている人よ」

「へえ、なんで?」

「だって、あんた、文章書くのうまいし。母さん、あんたの作文とか日記とか読むの好きだもん。作文好きでしょ?」
母親もどこまで本気で言ったのか、わからない。たぶん思い付きで言ったのだとは思う。

「うん。じゃあ、その、しょうせつかにする」
子ども心に妙に納得したのを覚えている。たしかにと思ったのだ、あのとき。
そして、言葉として覚えたばかりの小説家を将来の夢として絵日記にした。

正直書いた作文の内容は覚えていないのだけど、その絵の部分にどんな絵を描いたのだけはよく覚えている。
母のリアクションとリンクするようにして、絵の内容を覚えている。

「びっくりやわ。あんた、小説家という言葉さえ知らんかったくせに、イメージちゃんとできてるやん」
出来上がった絵を見て、母が驚いている。

その絵の内容は、ずらずらと壁一面にぎっしりと本がつめられた本棚があり、将来の私が、机にむかって、何かを書いている。その周辺には、くしゃくしゃと紙をまるめたものが散乱している。
そんな絵だった。

「ドラマかなんかで見たんかな? そうそう、小説家そんなイメージよ」母が言う。

そんなやりとりがあったことを今でも覚えている。


それから、ずっと私の夢は小説家だ。
文章を書く機会があれば、気合が入っていた。
母が言うとおり、確かに私は文章を書くのが好きだったし、褒められることがあった。
思ったことを言葉にして残すという快感があった。
そんな、すぐには長い物語など書けなかったから、最初は日記を書いたり、詩を書いたりしていた。いつかは長い物語を書くのだと、それまでに今は文章を書く練習をしているのだと思って向き合っていた。
そういう意識で、文章を書く機会があれば書いていた。また書きたいという衝動に駆られたときも、その衝動のまま書いていた。

幼いころの◯◯屋さん、と毎回毎回、将来の夢がゆらぐようなものではなくなった。見える世界が変われば将来の夢も変わってくるはずなのに、小説家になりたいという意志は不思議と変わらなかった。
小説家になるんだ。という意志をベースに何を吸収したらいいかとか考えるようになった。

それから思春期になって、小説書こうと思っているなんて恥ずかしくて言えなくなったり、そんなずばぬけた文才のない自分が小説家になりたいだなんておこがましいとか、いろいろ思うようになって、あんまり他人に向かって将来の夢を言わなくはなったのだが、
言わないだけで、想いは消えることもなかった。

興味関心は年代によって変わっていったけど、小説を書けるようになりたいという欲求は消えることはなかった。
大学生時代は海外も国内もお金が許す限り旅行に行った。旅行に行く動機はもちろん、そこの場所に行ってみたいという純粋な興味もあるのだけれど、見たことのない新しい世界を見ることによって、私の内面の世界、つまり創作の核となる世界が広がればいいなと思うからだった。

何かに対する好奇心は、すべて、私がいつか何かを書くための材料にしたいという欲求に帰結していた。

読書もそうだ。物語に触れるたびに新しい世界が広がるように感じる。なるほどこういう描き方だと面白いんだな。この着眼点は興味深いな。私だったら、どういう物語を書くだろうか、そんなことを考え妄想した。

人間関係もそうだ。悩むことがあっても悲しいことがあっても、それはいつか創作の種になるはずだと思った。そのつらさが大きければ大きいほど、これはおいしい経験や感情のはずだと思って励まし、立ち直った。

私にとって、何かを書きたいという欲求は自分の生活スタイルや物事の捉え方感じ方に影響を与えていった。

書きたい書きたいという欲求だけで、うまく物語を作ることができないという葛藤を続けてから、ようやく、はじめてひとつの長い物語を完成させた。
それを新人賞に投稿するけれど、それでデビューできる甘い世界でもない。
それから、何度もチャレンジしてみるか、なかなか甘くははい。

もちろん、認められたいし、プロになりたいけれど、
たとえ、認められなくたって、プロになれなくたって、これからもずっと好きで文章書いていくだろうし、物語が浮かんできたら書かずにはいられないと確信している。

想いを言葉や文章にして残そうとすること、何か感じるものがあって、そこから物語を紡ごうとするのは、私の人生の核だ。

将来の夢についての絵作文の宿題がでたこと、母親から何気なく小説家になればと言われたこと、それがなんかしっくりきたこと、それは、私の人生を変えた出会いだと信じている。

今だって、会社員として日常を過ごしているけれど、会社員としての世界とは別に、いちクリエイターとして物語を作る時間、想いを文章にする時間は大切だし、なくならない世界だろうと確信している。

週末にnoteを書くことが、今たまらなく、楽しいし。これからも続けていきたいなと思う。

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