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出会っていけたらいいね

最近お笑いコンビの霜降り明星がとても好きだ。
決定的に好きになったのは、彼らの公式Youtubeを観始めてからのこと。


この回を観て、こんなに全く違うルーツを持つ二人が、お互いを「おもろい」と評価して、一緒にネタを作っているということが、とてもオシャレなことだなぁ、出会ってくれてうれしいな、ありがとうという気持ちになった。

この回で粗品がヒャダインの曲を紹介した際

粗品:この曲みたいな漫才したいなってほんまに思った
せいや:分かるわそれ。俺も映画観てて、こんな漫才したいとかあるわぁ

というくだりがあって、すごく羨ましくなった。

めちゃくちゃカッコいい!と思うものに出会ったときに、「自分もこんな○○がしたい、つくりたい」と、具体的な○○が浮かんでいるということが、私にはとてもうらやましい。
人によっては、それは音楽なのかもしれないし、絵やプレゼンテーション、文章、ダンス、人との関わり方や人生そのものだったりするのかもしれない。振り返ってみても、私にはそういうものがあった試しがない。まだ出会ってないだけ、ということにしている。
自分の経験や気持ちを何かで昇華する、その何かに出会えているという点で、私はお笑い芸人さん全体にコンプレックスにも似た憧れを抱いている。


好きだ好きだと言いながら、私は彼らが出ているTV番組や漫才のネタよりも、Youtubeやラジオが好きだ。どうやら私はその人の人間性や素がより色濃く出ていると感じられる媒体が好きなようだ。オードリーの若林さんも最近好きになったのだが、きっかけは彼のエッセイである。

ラジオとエッセイって似ていると思う。つらつらとしゃべったり書いたりしたもの。そこにはもちろん、話す・書く技術や前準備がたくさんあって、本人の周りには編集・ブランディングしてくれる関係者の方たちがいたりするわけで、どこまで本人の素に近いか、本当のところは分からない。
けれど自分が好きな人たちが、ただつらつらとしゃべっているのを聞いたり、つらつらと書いたものを読んでいる時間はすごく贅沢で、楽しい。どちらも自分だけに話してくれているような、とてもパーソナルなものに感じる。(だから「ラジオパーソナリティ」って呼ぶのだろうか。)

オードリー若林さんのエッセイ集「ナナメの夕暮れ」で綴られている、彼らのラジオリスナー(通称リトルトゥース)や、エッセイを読んでくれているファンへの想いは、「ずっと僕の話を聞いてくれてありがとう」という、ごくごくピュアな感謝の気持ちで満ちている。そんな関係性を見ると、私は感動して泣いてしまう。何様という感じだけど、「お互いに、出会えてよかったね」と心から思う。

このエッセイを読んだ後に、「オードリーのオールナイトニッポン10周年全国ツアー in 日本武道館」で披露された彼らの漫才を観ると、二人から、観客の笑い声から、「好き」とか「楽しい」とか「ありがとう」の気持ちがあふれているようで、また心から、よかったねぇと思う。そして泣く。


「こんな○○がしたい」という何かに出会えることも、話を聞いていたいという対象に出会えることも、自分の話を聞いてくれる誰かに出会えることも、すごく素敵なことだ。

もしこの先、私のつらつらとした話を、聞きたい、読みたいという人にたくさん出会えたらなら、「私の人生も悪くないな」という気持ちになれそうな気がしている。出会えるようになるまでが大変なのだろうけど。その先にあるかもしれない、悪くない人生に今私はとても興味がある。

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