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神とトラウマと癒しと

言葉は時代と共に変わる。
「神」「トラウマ」「癒し」という言葉は、現代では割と頻繁に耳にする。

“控えめに言って神”
”元カレの浮気がわりかしトラウマになってんだよね”
”今めっちゃ癒しが必要だわ”

私が子供の頃(1970~80年代)でこれらの言葉は日常で使われることがほぼなかった。
「トラウマ」なんて、言葉自体が存在してなかったと思う。
初めて聞いたのは中山美穂とキムタクが出演していた「眠れる森(1998年)」というドラマだったかな。
(このドラマはまじで面白かったが、諸般の事情で再放送できないらしい。残念。)
そもそもトラウマというのは、「トラウマがあるんだよねー」などという軽い感じで使う言葉じゃないと思う。
トラウマは、自分の生存が脅かされる状態に陥った時に負う心理的外傷だ。
あまりの恐怖と衝撃で、その出来事を無意識に封印してしまう。
しかし無意識に封印した感情は必ず意識野に浮上しようとする。
その際に葛藤が起こり、出来事の記憶は思い出せないがその時の身体症状や心理状態のみが再現される。
だから「これがトラウマ」なんて簡単に言えるなら、それは単なる”傷ついた体験”であろう。本当に深刻なトラウマを抱えた人は、自分にトラウマがあるなんて思ってもいなかったりするはずだ。

「神」という言葉も敷居が低くなった。
私が子供の頃、「神」とか「神様」という言葉は宗教関連でしか使われなかった。母親がやや狂信的なクリスチャンだったせいで、私はいつもひやひやしていた。近所の人と立ち話をしていると「それは大変ねぇ。でもきっと神様のお導きだと思うの」みたいなことを言いだすのだ。
言われた方はぎょっとする。母は布教こそが正義だと思ってるし、相手の引いてる様子に気づいていない。
だから母が人と話す時は常に「お願いだから、”神様”とか言わないでくれ」と心の中で祈っていたw
だから人々が主にネットで「神」とか使いだした時、時代は変わったなぁと実感した。

「癒し」も同様に宗教的なニュアンスの強い言葉だった。
半強制的に私も教会へ通わされていたため、教会でよくこの言葉を聞いた。
「イエス様を信じて十字架に身を委ねた時、初めて心からの癒しを与えられました」みたいな感じで。
癒やし=人生を左右するほどの浄化を伴う強烈な多幸感、くらいの重さがあった。
今みんなが使ってる「癒し」は「ほっとできる時間」「リフレッシュしてくれる何か」くらいの意味合いだろう。

昔より容易に「神」を見出し、「トラウマ」を語ることで心の傷に早くに気づき、「癒し」を日常に取り入れることで生きやすくなるなら、だいぶ良い時代になってると思う。

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