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連鎖を止めるために、私は親になったのかもしれない



もし、

“自分が育てられたのと同じように”
子どもを育てたら、

“毒親”と呼ばれるとして、

あなたは、
親になるという選択を
しますか?






穏やかな愛情を受けて育った人は、
自分が親に育ててもらったように
自分も子どもを育てられる

受ける側としてもらってきたのだから
既にあるものを渡す側に立つことは
大変ではあっても難しいことではない



じゃあ、
自分が育ててもらったように育てたら
“毒親”と呼ばれる場合はどうすればいい?

自分で別の方法を獲得しながら
子育てをするしかない

自分にはない経験を
自分で獲得しながら
同時に相手に渡していく

その難しさを認識している人って
あまり多くない気がする








子育てや
パートナーに関して、
この国でどれだけの
怒りや憎しみが渦巻いているか

SNSを見ればすぐにわかる

ネットは恨みつらみで溢れてる

そんな渦の中で育てば
その子もまたいつか同じ渦を
生み出すことになる




虐待は連鎖する

虐待する親は自分もまた
同じように育てられた

その世界しか知らなければ
その世界は当たり前になる

暴力の世界では
暴力が正になる

だから、
まずは私たちが、
“その世界線上を生きる”
ことをやめないとね






「私も毒かも」
そう思う瞬間があります。



でもね、
親世代と違うのは、
自分が「未熟だ」ということを
早いうちから自覚できた、ということ。


多くの“毒親”と呼ばれる人たちは
自分の言動を客観視せず、
暴力をふるっている自覚もない

もしくは、
片隅ではわかっていても
誰か何かのせいにしながら
目を背け続けている

だからこそ、
“毒”になってしまう

(目を向ければ
“薬”に変換していけるよね)




子どもが見ている世界と
親が見ている世界は、異なります。



「自分はいつでも毒親になる可能性がある」
と自覚をする。


その自覚を受け入れるにあたり、
自分も相手も責めなくていい
ということを知る。


そして、子どもが
自分のような人間にならないよう
“暴力的な世界を生きる”ことをやめ、
連鎖を止める。


私の目標のひとつです。




止めたその先は

次世代が
新しい世界を生み出してくれると信じて


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