見出し画像

二宮金次郎も窮地にやった『断食』体験記と脳の話

どうも🤝

「お寺での断食修行体験記」

前編では初めて参加した断食修行での発見を書きましたが、今回は2回目に参加した際に感じたこととトータルの感想を書きます。

・・・と、書き始めた時から4ヶ月以上が経ちました。笑

改めて記事を開いてくださりありがとうございます。

過去に体験した2度のお寺での断食。
どちらでも違う発見があったのは確かなのですが、文にすると結局似たような感じになってしまうし、書いててもワクワクしてこない。
(そもそも体験が前すぎて気持ちに風化がみえる‥)

なので後編というより、今回別の視点を交えて記事にします!

一応リンクはっておきますが、前編読んでなくても全然大丈夫な内容です🙆‍♀️

🔼1度目の断食体験の記事


二宮金次郎の断食

さてさて。突然ですが、

二宮 金次郎

って聞くとどんなことを思い浮かべますか?

あのよく学校においてある銅像さんです。

前方には注意🥺

私も(あんだけまき背負って重いだろうにめっちゃ本読みながら歩いてて)良くできた子の象徴ってイメージだけあって、具体的には何も知りませんでした。

この記事のタイトルの通り、
まず二宮金次郎【本名:二宮尊徳】が断食を行うことになるまでの経緯を簡単に説明します。

(ここからは親しみを持ってニノさんと呼びます)



実際に、ニノさんは子供の頃から学んだことを行動することが出来る子で、大人に混じって仕事に励むときも「自分は子供だからこれは出来ない。じゃあ出来ることをしよう」と知恵を働かせて、結果人を喜ばせる事のできる人柄だったそうです。

金次郎は、同じ屋敷で働いている女中に「お金を貸してほしい」と頼まれました。
お金がない人に貸しても戻ってくるはずはありません。でも、金次郎はお金を貸してあげました。
金次郎は女中に、料理をするときに使うまきの本数を5本から3本に減らす方法を教え、余った2本をもらい、ある程度たまるとそれを売ってお金に変えたのです。

「その人が持っている力を、どう生かすか」金次郎はこの事を誰よりも考える人でした。
『失敗図鑑』(大野正人氏)

大人になると、上記の引用の出来事をきっかけに困っている人を助け続け、現代でいうファイナンシャルプランナー的存在になりました。

出る杭は打たれる
そんな言葉があるように、とある村の復興のため働きかけを行っていたニノさんに対し、悪口を言う武士が出始め、その言葉を信じてしまった村人も出てきました。
そしてニノさんを信じる人達との間に争いが起きたそうです。

ニノさんは、進まない復興やアンチの声に自信を無くし、村から逃亡。

そして帰省したニノさんは温泉で身体を癒し、心の傷を治そうと断食をおこなったのです!



もうやだ!帰ろ!ってなるニノさんの人間臭さに親近感と愛おしさが芽生えました。😂

心の傷を治す⇒断食
っていうのは、流石ストイックだなって思いましたが、それも文献から得た知識からやったのか、もしかしたら信仰する宗教的行為だったのかもしれません。

Wikipediaで「断食」を調べると、宗教という項目があってさまざまな思想があることが分かります。

またそれ以外にも、

精神保健

あるレビューでは、断食は脳内にケトン体を増加させ、覚醒状態、気分、および主観的ウェルビーイングを改善し、おそらく抑うつの全体的な症状を改善したとされる。

断食に体が慣れると、リラックス時に出る脳波であるα波が増加し、瞑想時に近い精神状態に近づくことで高ぶった脳や神経を鎮静化させる。
Wikipedia 断食より

との記述も。

ニノさんが行った断食期間は21日間(!)だそうで、もともと賢い脳はそりゃあどえらい境地まで整ったんだろうなぁと想像できます。

さて。
ニノさんが断食を行ったことでどう変化があったかの前に、私の体験記に寄り道させて頂きます。

わたしの2度目の断食修行(千葉県、成田山新勝寺で3泊4日)は、2019年1月30日に行いました。

がっつり寒い、真冬のお寺です。

新勝寺の大本堂

断食によって体験した超集中力

冬の時期ということもあってか参加人数も少なめで、初日参加していたのは確か男性2人と私1人。

なので1日目は道場でひとりで過ごしたのですが、もうめちゃめちゃ寒くストーブを独り占めできたのは良かったものの、やたらと寂しさに襲われた夜でした。

1回目に参加した時の様なだるさや嘔吐はなかったですが、お寺の中を散歩する元気もなくほとんど道場に篭りひたすら本を読んでいました。

私は本を読んだとしても読みきれなかったり、何日も何週間もかけて読むほどの遅読です。

基本読む時は電車の中なのですが、長時間の移動もほぼないのでまとまった読書時間が取れていないことや、休みの日も読書より違うことに時間を使ったり、読んだとしても他のことに意識がいって集中できないのも理由です。

それほど読書を習慣化できない私が、
この断食修行中は1日に2〜3冊程度読めるくらいの速読力が身に付いたのです。

(もちろん、たまにテレビでやっている様な頭のいい大学生が、パラパラパラパラ‥ハイ終了!みたいな速読ではないです)

そりゃ水だけで過ごし、テレビや携帯等の電子機器もない状況だとこのスピードで読めるのは当たり前かもしれないですが、普段、それだけ様々な欲と誘惑に負けているわけです。

1回目の時も本は読んでいましたが、
散歩したり、写経体験したり、お寺の中にある美術館行ったりして時間を使ったのでこれほど量は読んでいませんでしたし、
次から次へと読めるぞ!自分でも驚き!みたいなところまではいきませんでした。

あと量だけでなく、読む質もあがりました。

集中できてないとぼーっと文字だけを眺めてしまい「あれなんだっけ?」とページを戻す、なんてこともありましたが、

この時は同時に感情面も変化が生じやすく、面白いものはより面白く、興味をそそるものはより前のめりに、合わないものはすぐに手放す、といったメリハリが出たのです。
(私はもともと流されやすい優柔不断なタイプ)

持ち込んでいいのは仏教系の書籍と言われていましたが、道場の本棚に湊かなえさんの『告白』を見つけて「小説あるじゃん、これ映画おもしろかったよなぁ」なんて軽い気持ちで読み進めたら、もう面白くて面白くて、時間たっぷりあるのに寝るのも惜しんで読んでました。

漫画を読んでいる時や映画やドラマを観ている時のような、読むというより見ている感覚に近い状態になったのですが、、

これって本好きで習慣化してる方は良くある事なのでしょうか?🤔

集中力に司る脳のネットワーク

そもそも『集中』している状態ってどんなんだろう?と思って検索したら、
脳の情報処理について紹介してる記事を見つけました。

人間の脳には大きく分けて、3つの情報処理のネットワークがあります。

①デフォルトモード・ネットワーク
無意識に近い状態で、記憶や経験に準じてオートマチックに情報処理や指示出しをする

②セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク
自発的に意識を向けたときに活発に働く

③サリエンス・ネットワーク
①と②の対極的なネットワークの切り替え役を担う
『4 Focus 脳が冴えわたる4つの集中』(青砥瑞人氏)から一部抜粋、再編集した解説記事だそうです

記事の内容の深掘りは長くなるので割愛しますが、上記記事から分った事を一部要約すると

  • 習慣化されてない出来事が起こると、③サリエンス・ネットワークが「!」とアラートを出し、②セントラル・エグゼクティブ・ネットワークにバトンを繋ぐ。

  • ②が働き、「意識して注意を向ける」「何かに集中する」という行為を続けるには多くのエネルギーが必要で脳にも大きく負荷がかかるため、時間が経つにつれて注意力が散漫になり集中力は続かなくなるのは当たり前の事である。

  • 集中力を継続させるためには、①→③→②で起きたことをまず記憶として脳の中に定着させること。

  • その記憶が①デフォルトモード・ネットワークの時の意思決定にも影響し、記憶や経験を土台に「記憶ドリブン」が作られる。

  • 脳のパフォーマンスを高めるには、この記憶ドリブンをいかに優れたものにしていくかがカギとなる。

ドリブン(driven)
《driveの過去分詞形》多く複合語の形で用い、それが原動力であること、それが主導していることを表す。
デジタル大辞泉

つまり、
今回でいうと「本を読むぞ!」と習慣化していない読書をすることで最初は③→②のネットワークを経由していたことが、定着していったことにより次第に①のネットワークの範囲(無意識)でも出来るようになっていたから、脳のエネルギーも別のところに使えるようになっていた!という解釈をしました🙏

じゃあ断食関係なくない?
って事でもなく、「断食中」「電子機器が周りにない」「仕事しなくていい」「人に気を使わなくていい」っていう環境や条件が揃ったのも大きく影響して、私の中の超集中力が開花した時間になったのかなと思います。



さてニノさんの話に戻ります!

自分の気持ちとの向き合い

ニノさんは、断食中に自分と向き合うことで気持ちに変化がおきました。

善と悪。好きときらい。そんなものは、そもそも存在しない。
世の中には、絶対の悪人もいないし、逆に、絶対の善人もいない。
すべては、自分の心が作り出したものだ。
自分の心が、その人を「悪」と思ってしまえば、その気持ちは相手に伝わる。伝わってしまえば、相手も自分をきらいになる。それだけのことだ。
『失敗図鑑』(大野正人氏)

悪口を言う武士たちへの嫌悪感が消えて村に戻ったニノさんは、村の復興を成功させたとのことです。👏



引用に使わせてもらった『失敗図鑑』という本でこの二宮金次郎氏の紹介を読んだ時、
断食修行へ行った際の自分を思い返しました。

1度目では体と心は別物であることを感じたのに対し、2度目では思考に変化があったのです。
私の場合はその時に読んでいた本に導かれました。

そのキッカケになった本は仏教系の本で、山へこもった僧侶のお話です。


うやむやな記憶ですが、

その僧侶は仏教の教えに習い、悟りを開くために何年も山に籠って修行をします。そして何十年か経った頃に僧侶は山をおりました。
それは修行が終わって悟りを開くことが出来たから、という訳ではありません。

僧侶は、このままここでいつ開くか分からない悟りのために自分の有限の時間を使うことより、この修行で得た学びを人々に伝えることに残された時間を使うことを選んだのです。

私はこれを読んだ時、まさに自分を重ねました。

2度目の断食はダイエットとはまた違った意図があったのです。

抽象的な書き方をしますが
私はこの時期、葛藤がありました。

目標を一つ達成したのに達成したことを活かすことをせずに、その先の本来の目的を見失ってました。
その目標は、私の仮説の目的の為に掲げ実行したつもりでしたが、本来の目的のためにすべき事から目を背けていた為、達成したことに心から満足出来なかったのです。

成功体験は自信に繋がるはずなのに。
せっかく築いた自信は、本来の目的への道標にもキッカケにも変わる事はなく逆にポッキリと折れたのです。

そんな中、断食修行をすることを選びました。


この本を読み終えて
私は早く帰りたいと思いました。

それは寒い夜を携帯も無しに1人で過ごしていたから、というのもありますが
早く現実と向き合い自分のできる事を全うしたいと感じたのです。

先程書いた超集中力で本を読んでいる時には、すでにこの自分の気持ちを発見した後でした。

さて。
その時の発見からもう4年近く経つことになりますが、今の自分はどうだろうか?

今月は特に感情の振れ幅がすごいので、より一層自分に問いかけていきたいと思います。

本当は、2度目の際はノートを持っていってたのでその時のメモを見ながらこの記事も書きたかったのですが、、残念ながらノートが見当たらず🥲
もし見つかった時には書き足しか追記したいと思います!


最近一日の初めにお坊さんのお話をYouTubeを聞いているのですが、
このニノさんが発見したようなことや、普段の生活からは導き難いことを聞けて心が安らかになります。

いつかこのラジオで聞いたお話からも共有の記事を書きたいナ。


最後まで読んでくださってありがとうございました!🤝

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?