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こだわりが必要な時と、委ねる勇気が必要な時と。

ケースバイケースでしょうけれど、
周囲に譲り過ぎず、自分の意見やこだわりを大事にした方がいい時って沢山あると思うのですが。

それとは別で、信頼して任せたり、新しい提案を受け入れてみること。新しい提案に対して自らを開いてみる勇気。そんな方向性の態度が功を奏すことも沢山あると思っていて。

特に変化したいと思う時には、後者の態度が適しているんじゃないかな?と考えているのです。

抽象的なことを言うけれど後者の「信頼して任せる」という事柄について、ごく個人的な考えを書いてみました。

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何かしら変えたい、変化したいという気持ちが前提としてある、と見受けられる場合においてのみですけれど。
私がしばしば、…ん!?…となるケースがありまして。

それは例えば依頼をしたにも関わらず、
あまりにも提案を受け取らないでいる…という様子を見た時など。
うん…??ではなぜ依頼しようと思ったの?
…その人に頼る意味はありましたか?と、聞きたくなってしまう気持ちを抑える事に懸命になります。(相手なりの想いと事情もあるのでしょうから…)

特に専門性の高い分野など、大きな船の舵取りを信頼して任せる様子もなく、アドバイスを受け取らない様子をみた時などは、
…自分で舵を取っている時と、大して変わらないのでは…?と。思わずにいられません。何かしら変えたい、変化したいという気持ちが前提としてあっての依頼だったはずだけれど…、どうしたのかなと。

(※私自身は、変化という言葉に対して苦手意識がほとんど無く、興味が湧けばサッサと飛び込もうとしてしまう一面があります為、とても極端な考えを今、披露しております!! 念のため。)



私個人の考える「任せる」というのは、
自分の意見を言わない事では決してないし、
自分の想いを蔑ろにされるだとか、相手の言いなりになるという事ではありません。
(そんなの嫌じゃない?)

自分の考えや要望を都度示しながらも、自分では思い付かなかった見解を示してもらえるものであったり、
自分では到達できない所を示してもらえる可能性が広がること。それが、誰かに頼ったり任せるという事だと捉えています。
(あなたが任せたいと思える様な、 信頼のおける相手かどうか? は最も大切な所です!そこは絶対無視しちゃだめ。)

とはいえ、新しい提案に対して自らを開いて選択していくという事には、勇気もいるものですよね。 
だって、「思っていた以上だわ!(歓喜)」 となるのか、
「思っていたのと違う(嫌)」 となるのかは、踏み出して時間が経ってみなければ正直分からない事も多いですから。
始めは違和感が大きくて「失敗かー!」と思っても。しばらくして振り返ってみれば、あの時のアレが今となっては転換期だった。あれで良かったんだと個人的主観のラベリングが変化していく事も、いくらだってあるから選択とは難しいものですねぇ。

いずれにせよ大事だなぁと思うのは、結果がどうであれ
「誰にも責任を転嫁しないと決めておくこと」だと思います。

誰かのせいにして傷付くという考え方を選んでばかりいると、次回の一歩も恐くなります、きっと。何を選ぶにしても、最終的には自分で決めた事だから、と腹をくくることは、日々のあらゆる事柄に必要な態度のような気がしていますが、話が逸れますね。


【頼る様に見せかけて、自分の考えだけを通そうとする時】
それは相手に対して、
あなたを信頼していません。 
任せられると思っていません。
そう言っている様なものでもあると考えています。

変化したいと望んでいる分野においては特に、
時には自分を開いて、任せたり委ねてみる勇気も必要かも知れませんね。

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以上「信頼して任せる」 という事柄について個人的な考えを書いてみようの回でした。

私がなぜ変化に対して苦手意識が殆どないのかについては、
やってみて嫌なら、またその時に考えよう…
嫌ならその都度変えていけばいいし、という様な
考え方の薄さがあるからでしょうか…。
軽やかといえば聞こえはいいが、行き過ぎれば浅はかであるという。
そんなペラペラとしたバランスを生きております。

本年も、たまにポツポツと書いていこうと思うております。 
よろしくお願いいたします。

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