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自信がなさそうに聞こえる言葉

私がパリのファッションデザインの学校に通っていた頃、1番好きで得意だったのはテキスタイルの授業。
布のモチーフをデザインしたり、色の組み合わせを考えたりするのが大好きで、他のどの授業よりも熱心に取り組み、課題も最大限に頑張って、大変なことも多かったけれど私にとって1番の楽しみだった時間。

そのテキスタイルの授業を2年間担当してくれたタニア先生。
高い身長、ふくよかな体型、カールの強い赤毛に明るい茶色の目、そばかすの散らばった頬、低めの声、歯に衣着せぬ物言い。
当時たぶん今の私くらいの年齢、30代後半くらいだったと思うけど、その頃ハタチそこそこだった私には、ものすごく大人で手の届かないくらい格好良く、憧れの存在だったタニア先生。

まだフランス語がカタコトだった私は自分の意見を伝えることも、授業についていくのも必死だった毎日。
そんなある日、いつも通りほぼ徹夜で仕上げた課題を先生に見せていた時のこと。
「ここの形を変えて、新しいモチーフを作ってみました。」
「この素材で新しいやり方を試みてみました。」
そんな私の説明を聞いた後、私の目をまっすぐ見て「なぜあなたはいつも”try to〜”(essayer de〜) = ~しようとする(試みる)、という言い方をするの?」とタニア先生。
「あなたが時間をかけてやってきた課題は素晴らしいものなのだから、自信を持って「これを作りました」とはっきり言えば良いのよ」。

それまで特に深く考えもしなかったけど、指摘されると確かに頻繁に”try to〜”(essayer de〜)を使って話していたことに気付く。
無意識に自分の自信の無さを表していたのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
でもどちらにしても、聞く側には自信が無さそうに聞こえるということに気付かせてくれた先生。

“自信が無いように見える”ことが致命的なフランス社会。
日本のように、謙遜のニュアンスかなとは誰も思ってくれない国で、私はこの日をきっかけに「やってみた」を「やった」に意識的に言い換えるようになりました。

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