三谷一夫著「俳優の教科書」所感 Vol.1
はじめに
教科書と名付けられているだけのことはあって、基礎基本をしっかり噛み砕いている本でした。
1冊を通して著者が言っている軸は、
・俳優とは技術職である
・俳優は「ものづくり」の一員である
であると考えます。
このことは第1章の前の「はじめに」で既に出てくるので、主軸を捉えるためだけなら最初さえ読めばOKかな、なんて思ってしまった。後ろで細かく解説されていますので、もちろんそれらもちゃんと読まないと意味ないんだけど。
コラムまでしっかり目を通すと尚良いと思います。
本物の映画人の話が対談形式で載ってます。
正直言って、コラムの方が本編より読むの大変だった。
掲載順とはズレてるけど、次に目次に目を通してみると、こんな感じになってる。
目次(一部抜粋)
PART1「『ものづくりの感覚』を養う」
・作品のために俳優がいる
・作品づくりはチーム戦。
PART2「脚本を深く読み解く」
・「脚本の重み」をまずは知ろう
・脚本とは「映画の設計図」
・俳優こそ、誰より高度な「脚本の読解力」が必要
・作品の肝をつかんでいるか?
・1シーンごとでとらえない
PART3「映画からじっくり学ぶ」
・観客の心を動かすのは、台詞ではない
・何でも「作り手の視点」で見てみる
PART4「オーディションを戦略的に勝ち抜く」
PART5「俳優として長く生きていくために」
・俳優の仕事は「センス」ではなく「技術」である
読み終わってからもう一回目次を見ると、まあ本当に同じ内容の繰り返しだって改めて思わされます。
ただし、学校の教科書のように、カラーで資料も付いてて大事なところは目立たせてある、なんて懇切丁寧な書き方はされてません。
この本、そもそも国語ができないと読めない!
国語ができなきゃ”教科書”が読めない!
あちこちに飛び飛びで似たような内容が出てくる。それらを紐づけながら、多少書き込みも入れて、とやっていたら長文読解やってる気分になった。共テの大問1に出すには簡単だけど高校受験なら良さそうなゴリゴリの論説文、みたいな。
これ自慢なんだけど、高校入試の時は国語満点だったんだ、私。←ウザ~!笑
さて、ここからは順番に本文を読んでいきます。
PART1「ものづくりの感覚」を養う
俳優はいつでも自分から「学ぶ」意識がとても重要となります。
だそうです。主体性ってやつのことでしょう。
任せろ! 私の高校は「自主・自律」だった!
作品のために現場で何ができるか考えて、自主的に学んで実行する、かつ演技が上手くないと必要とされない。
ということでしょう。
作品のために俳優がいる
俳優は特別なポジションではない!
確かに花形だけど!
ということです。
「制作チームの一員」なんです‼
コード・ブルー3第8話で、藍沢先生が言ってましたね。
救命はチームだ、と。
フェローの3人だけで処置しなきゃいけない場面があって、成功して命救って、そのあと藍沢先生はダメ出ししつつ「救命はチームだ。」と言ってさらに黒田先生の「よくやった。」を真顔で言って褒めます。ひぃん( ߹꒳߹ )
※「俳優の教科書」以外何も見ずに書いてます。
急に話題を変えた上でのキモ発言、すみませんがこれは私のデフォです。
気になる方は、こちらを参考にしてください↓↓↓
やっぱどこの世界に行ってもチームなんだよ、チーム。
手術室のオペだって執刀医だけじゃなくて第一助手と第二助手と器械出しと麻酔医と外回りと(以下略)って感じだしな……
だからこその、続きです。
「作品づくりにこの俳優が必要だから、制作メンバーとして声を掛けている」
だから、「出演」ではなく「参加」だそうです。
うん、確かにその通りだ。
各パートの説明
知識系は飛ばします。
「これだけのスタッフの仕事や想いを背負って、カメラの前に立つ俳優の仕事がいかに責任重大かということですね。」
怖いこと言わないで~!
やたら目立って見えるくせに音楽的な仕事内容は完全に裏方である伴奏者並みに責任重大じゃん。伴奏者、学年約150人またはクラス30余人を1人で支える裏方みたいなもの。
立場逆転で、大勢のスタッフを背負って少数で目立つとか、恐ろしっっ……
「よく見る『製作委員会』とは何か?」まで読む前に、
製作? 制作?
となりますよね。各パートについての細かい解説のところで、製作とか制作とかややこしかった。だから自分で調べて、ここに来た時に「何だよ書いてあったやん」とツッコんでから遠い目をした私でした。
「製作」は企画段階から利益を上げるところまで全部を指していて、
「制作」は作品を作って発注元に納品するところまでを指している。
つまり、
「制作」は「製作」の部分集合ということか(数Ⅰ)。
なるほどね、制作に含まれてる工程は全て製作にも含まれているのね。
しかし、まとめて製作にしないで、分けるそうです。まとめた方がラクだと思うけど、業界ならではってやつなんでしょう、きっと。チームに入りたいなら、こういうところにも注意しなきゃいけないよね。
でも、なんでまとめちゃだめなの?
俳優は「衣裳合わせ」の時間を生かすこと
衣裳合わせの時間は、俳優がクランクインまでにメインスタッフと脚本について確認できる唯一の機会だそうです。前もって話すとしたらこの時しかない。
そういえば、インタビューの1個目で「衣小合わせ」も出てきました。
衣裳合わせと衣小合わせは違うそうです。
ところで「生かす」と「活かす」ってなんか違くない?
私が小見出しつけてたら「活かす」にしたと思う。なぜ「生かす」になってるんだろう?
自分の言葉を持っているか?「作品の公開・舞台挨拶」
「この作品はどんなメッセージを発していて、俳優として参加したあなたはこのメッセージをどう受け取り、何を観客に届けたいと考えたのか、ということを、俳優が自分の言葉で話すことが何より重要ではないかと思うのです。」
わかりみが深いです。
私もつくる側の人は何かしら考えてるはずだと思ってるので。
ド直球にバラしちゃうのは野暮だけど、かと言って伝わらなかったら嫌だからヒントくらいは出したい。私はそう思う。
ただ、残念ながら今まで私は最初から最後まで1人でやってた。チームで作品をつくるとどういう感じなんだろうか。未知の領域です。
チーム全体で共有しているメッセージと参加した個人が思うメッセージは多少ズレません? どの段階で参加したか、どの立ち位置で見てきたか。そもそも個々が持つ特有の思考の仕方によって脚本の解釈が全然違ってくること、あるんじゃないかな? いつどうやってすり合わせるの?
三谷様~! 教えて~!
なんて言う前に、ちゃんと先も読まねば。
次も現場に呼ばれる俳優には共通点がある
「ものづくりを一緒にやっていきたいと感じさせてくれる人でないと、現場に呼ばれることはありません。」
でしょうね。
ちゃんと向き合わない人とか絶対嫌。誰でもそうやろ。
現場では多くの人から「聞く」。現場受けする俳優は仕事が続く
悪い噂も良い噂も、広まるんですって。
良い噂が広まる人はマジで良い人である。
というのは大河ドラマ「軍師官兵衛」で善助(濱田岳さん)が言ってた。
良い噂より悪い噂の方が広まりやすい。しかし官兵衛の噂は良い話ばかり。つまり官兵衛は良い人。みたいな感じだったはず。
現場の人の声は信憑性が高い。
確かにそうだと思うけど、その声が伝わってくるまでにどんな人を経由してきたのか、邪な心で広めてる人もいるかも、と考え始めると難しい。これ、いわゆる情報リテラシーってやつですよね。
撮影スタッフ・鈴木周一郎さんのインタビュー
メイキングから映画を学ぶという話の中で「執念」や「エネルギー」という言葉が出てきてた。続いて、インタビューでは「台本の最新稿が前日に上がっていたとしても、多忙な役者さんに限ってしっかりと読み込んでいたりする」という文も出てきた。
なんか、急に昭和だな……
執念とか、エネルギーとか、忙しくても作品のためにはやるということとか、そういうの止めた方がいいと思う。
非難してるつもりは一切ありません。
医者になるために、どんなルートで医者になるかについて考えた上で志望校を決め、それを達成するために昼夜を問わず勉強に明け暮れてた。睡眠も休息も何もかもを無駄として扱って、全てのエネルギーを勉強に充てて医師になることに執念を燃やした結果が……
病気
本当に、比喩じゃなくて、生き地獄です。
マジで死にます。
メンタルがセラミックと言われたことがある私でも危ないところでした。
心の風邪とか甘えとか言う奴に対する正直な気持ちを端的に言うと、
「お前はバカか」
です。
精神病んでる人が自ら死を選んだら、それは自殺ではなく病死と言ってほしいと思います。
体には悪いところはない、ではなく精神科の病気は脳の病気なので布団から出ることもままならなくなるし、布団から出られても起き上がってるだけで精一杯だし文字が読めないし書けないし、目が上転したり階段の上り下りができなかったり、体が思い通りに動いてくれないので笑顔すら出来ない。あと薬の副作用で激太りした。
心の(というより脳なんだけど)健康がどうこう言われてても大抵の意見はトンチンカンに聞こえるようになったし、綺麗事で解決できるなら病院はいらねえよ。
※あくまでも私個人の話で、みんな同じではありません。
健康を大事にしないと映画もドラマも全部無理!
つくる方も観る方も全部無理!
二度と生き地獄には行きたくないので、昭和な詰め方されても私はなびきません。私は自己中なので私がやりたいことをやります、よって人のためになることをします。それをやるためには価値観がアップデートされてない人たちを再起動しなくては。
あ、なんか昭和って言うと嫌な気持ちになる方いらっしゃると思うけど、上記は古いという意味の暗喩です、事実として昭和は三十ウン年前の過去です。
過去の欠点を改良した結果別の欠点が出てくることはめっちゃ当たり前だし未来しか変えられないことも当たり前だからさ、昔は◯◯だった(良い意味)のに今は~みたいな懐古いらんねん、だから何としか思わねーよ。「古き良き」は歓迎だけど「古き」のみは嫌っす。
口悪くてすいませんが、これも私のデフォです。
「志望下げたら?」と心配する母に向かって「次そんなこと言ったらぶっ殺す」と言った過去を持つ私であった。だってホントに第一志望(今では母校になった☺️)以外興味なかったんだもん……
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