見出し画像

舞台「オデッサ」から

3月3日、大千穐楽観劇。
会場は日本特殊陶業市民会館、うわぁめちゃめちゃ知ってる場所やん! しかし私が使っていたのはビレッジではなくフォレスト。この日はビレッジでした。

多ステ(?)したいのはやまやまだけど、金銭的に無理です。
大楽が地元なら大楽行くしかないだろと思い、あまり考えないでチケ確保した。まさか遠方の大学に進学した子と会ったり愛知県芸術劇場の横に行ったりで忙しくなるとは予想だにしなかった。

STORY

青年が待っていたのは、オデッサ警察のカチンスキー警部。
オデッサとはアメリカ南部テキサス州にある寂れた町の名前。この町で1人の老人が鈍器で頭を殴られて殺された。その他にも連続殺人事件が今なお進行中で、オデッサ警察は人手が足りない。仕方なく遺失物担当のカチンスキー警部が聴取をすることになった。

が……

重要参考人の児島勘太郎は英語が分からない、警部は日本語が分からない、ここで白羽の矢が立ったのが青年で、彼は通訳をするように頼まれた。

青年と児島さんは故郷が鹿児島で、しかも近い。ここから一気に親しくなる。
児島は真犯人ではないけど、死にたいからという理由で、わざと捕まろうとする。無実の罪を着せられて捕まるかもしれない児島を助けるために、青年は児島が自白しているのを勝手に変えて警部に伝える。
つまりね、もはや通訳じゃないのよwww

もちろん、カチンスキー警部にとって児島は意味不明だし児島にとってはカチンスキー警部が意味不明。だから青年はかなり無理のあるやり方で誤魔化し続ける。これが笑いの要素になってて、わりと終盤まで笑うしかない感じだった。
例えば
・殺したときの様子を再現する児島の動きを、蕎麦打ちだと説明したり。
→蕎麦打ちで納得した(納得するんかい)カチンスキー警部に蕎麦打ちを教えてほしいと言われる。蕎麦打ちのあと、殺したときの状況を訊かれて再現することになるが、児島にとっては2回目。「ソバ」は聞き取れた児島は「?」となっているので、SOBAではなくSOVAだと言って誤魔化す。
・なんか勝手に喋ってる、だって長いから。というカチンスキー警部の主張に対して、日本の俳句を例にして誤魔化したり。
・何でもない景色から詩を頭の中で書いていたと説明して誤魔化していたら詩を聞かせてほしいと言われ、慌てて適当に作ったり。

オチは、児島は連続殺人の方の犯人だから、たった1人の殺人で捕まる方がマシなので、ずっと犯人であると主張し続けていた、ということだった。

CAST

迫田さん(児島)って、犯人役といいますか、悪い(悪そうに登場する)役が似合うんですかね。「VIVANT」の山本でもあるし「正直不動産2」の寺島大助でもあるから。

エマちゃん(カチンスキー警部)は可愛い。実衣ちゃんの時も可愛かった。三谷幸喜にとっての宮澤エマは面白要員なのか?笑

そしてかっきー(青年)ですね。
エマちゃんに向かって「おねがいします🥺」だったと思う。
エマちゃんの評価は「雨に濡れた子犬」でした、うん、そうね、かっきーの子犬感かぁぁんわいいい。エマちゃん、ではなくカチンスキー警部の評価は散々でしたが。

青年と警部、お似合いよ、うふ。

various things

まずは、演出や演技について。
字幕が出ました。
英語の和訳をただ映すだけというわけじゃなくて、バラエティ番組のテロップに寄ってると思う。映す場所はセットの壁だった。あれはリアルタイムで誰かが操作してるんですよね、きっと。
むずくない?
芝居がミスったら字幕と嚙み合わなくなるし、字幕がミスったら芝居と噛み合わなくなる。プロの技ですわ。えげつない量の台詞全部覚えて軽快に進めていくこともプロの技ですわ。まさにチームですね。
立ち位置をバチっと合わせなきゃいけないと決められているであろう場面もあった。つまりここまで全部含めて頭に入れておかなきゃ成立しない。あと何気にセットの時計が少しずつ進んでた。めちゃくちゃ細かいな……

あと、思ったのは、
舞台上に居る限り誰かしら見てる人がいるので、一切気が抜けないということ。隅っこに佇んでいるだけだとしても物語の登場人物として存在しなくちゃいけない、1時間45分ぶっ通しで。柿澤さんについては1回も捌けてなかったと思う、間違ってたらごめんなさい。
そして、舞台上で披露するものなら何でもそうだけど、一番後ろの席まで届くようにやらなきゃいけない。だから多少オーバーに動くものなのかな、と。例えば、目線のみで表す、なんてやり方は通用しない。台詞については、小声だと全く聞こえなくなっちゃう。
全部わかった上で、わざとらしくなく、すっとぼける、またはツッコむ。この役割の人はもちろん全て見られているし、自分がボケでもツッコミでもないとしても見られている。全員が、全てを、見られている。一体どういう気分でやってるんでしょうか🤔
これが、画面を介する場合と介さない場合の違いなのでしょう。


前のストーリーについてのところで、青年だけはわざと名前で書かなかった。スティーブ日高とされていますが、スティーブというのはアメリカに渡ってからのあだ名(?)なんです。本当はスジオなんだけど、言いにくいからスティーブと呼ばれるようになり、今(1999年初秋の設定)では自分でも名乗ってる。
親がつけてくれた名前を変えるってどうなの?
外国に渡り、その国に合わせた名前に変えるって、どうなの?
という感じの問いかけが劇中にありました。
青年に対して、英語ができるって言ったってこの国では5歳児でも話せるのよ、みたいなカチンスキー警部の台詞があった。ここ(アメリカかな?)でやっていけるなんて思い上がりだ、みたいな話もあった。
この「オデッサ」の場合は日本とアメリカ。
自分がもともといた場所から離れて別の場所で生きようとしても、そう簡単には受け入れてもらえない。外国人(他所者)というだけで差別される。偏見に満ちている。
以上のような不条理に対する皮肉、と言えばいいかな。社会の悪いところに対する文句がかなり出てきてました。全部は覚えてませんが……

重いな!
めちゃめちゃ重いな!
コミカルにやってるくせに内容重いな!
意見みたいなものは出てきてなかった(私が気付いてないだけだったら悔しい)ので、問題に目を向けてほしい、みたいな意図があるのかな、というのは私の推測です。

ところで、今大変なことになっているウクライナにもオデッサという名前の町があります、というか、ありました。国が、ウクライナの地名について、ウクライナ語に寄せるように決めたらしいです。だから、オデッサがオデーサに変わったらしい。
オデッサ→オデーサ
スジオ→スティーブ
意味深だな、と考えてしまいますね。

以上、コミカルだからとっつきやすいというのはあるけど、コミカルに見せかけて激重テーマでございましたわ。
笑い転げてられないじゃん……

参考
https://www.pref.kanagawa.jp/docs/k2w/cnt/f41011/p12167.html


さて、ここから話を変えます~


パンフレットを買って読んだら、私にぶっ刺さったところがありまして。
まず、こちらは私の過去の投稿。Threadsです。写真は過去に書いたもので、私とかっきーには似たところがあるように思うけど、かっきーは大成したのに私には何もない、という内容です。トリミングしてあるから切れてます🙇🏻‍♀️

今見返すと佐藤二朗みを感じます。発達障害ありがとう、病気ありがとう、そんなこと言えたらいいけど、もちろん容易ではない。
かっきー、ここでは柿さん呼びになってますが、実朝にジキハイにハムレットで、率直にすごいと思うばかりなのだが、実は……

これの第1回にしっかり書いてあります。私はこれ読む前から知ってはいたんだけど、んん⁉ となりました。
なんか似たような人を知ってるぞ……?
まあ、それは私なんですけど。

ライオンキングがきっかけで急に舵を切って俳優になったお方なんですよ。
なぜなのかは「いやぁ、でも、わかんないです、」だそうです。
えええええ⁉⁉
いや、直接話したことあるわけじゃないけど、私が「コード・ブルー」の「せい」なのか「おかげ」なのかわかんないけどマジで人生狂ったって話したら、どういう感じか感覚的にわかってくれそうな気がする。ただの妄想ですけど。
いや、ホントにマジでわからん、自分でもわからん。
なぜあの勢いで勉強できたのか、そもそもなぜガチったのかわからん。きっかけ的なものはあるが、それだけでここまでやるか? と自分でも思う。医師になりたいのは本気だけどさすがに無理だろうと思って動き出してなかった頃にラジオでコード・ブルーがきっかけで医師を目指して勉強頑張ってます的なエピソードを喜んでいたのを聴いて、私もやってやるって思ってガチったのが13歳の時。

柿澤勇人さんの人生を完コピすれば、なんてことはしません。ロールモデルとか、そういうものにしたいと思いません。思えないと言った方が正しいかもしれない。
柿澤さんは柿澤さん、私は私。他人のやり方をコピーすれば自分もうまくいくということが確実だとしても、クローンみたいな人間にはなりたくない。とにかく私は私ですってことなんですが、嗚呼、うまく表せない。なんて言えばいいんだ⁉ 私はスジオはスジオだと思う、と言えば伝わります?
あー、でも、スジオ本人はスティーブと呼ばれることを嫌がってないし、スジオ本人がどう思っているかが1番大切だと思うから、もはや日高と呼ぶのが良いのでは、とも思う。

以下の文が、パンフレットに書いてあります。
かっきーのインタビューだと思われるがインタビューだとは書いてない。

とある場面で、「これまでの人生で何か成し遂げたことはあるか」といった台詞が出てくるんですが、これは僕への当て書きだなと感じています。実際に僕自身、何も成し遂げてないですからね。

俳優になったから、ゴール地点が定められているわけじゃないから、そう感じるのかな?
私は何もないですよ、結局何も成し遂げてないですよ、え、かっきーもそうなの⁉⁉ まさかの展開すぎるって。
いやいやそんなことはない、じゃないんでしょうね、きっと。変な無力感があるというか、自分は何者でもないというか、そういう感じであると推察。

あの、柿澤さん、もう少しこれについて語って頂けませんか?


そして私の多動な脳みそはこんなものを思い出した。

病み垢の繋がりタグでよくある画像です。
もうさ、これを目指すのはどう? 

最後に、繰り返しになるけど、
かっきー、命までかけないで!

この記事が参加している募集

舞台感想

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?