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歯に衣着せぬ言葉と曖昧にしておく言葉の狭間で

火曜にスッキリを見ていたら「嫁グラフィー」の特集をしていた。
嫁グラフィーというのは旦那さんが自分の奥さんを撮影してSNSに投稿することを指すそうな。

私は写真撮るの好きやし、特に人が楽しそうにしてたり美味しそうにしてたりするとすぐ撮りたくなってしまうし、いい写真撮れたらインスタのストーリーとかに載せちゃったりするから、奥さんのきれいで可愛い瞬間を収められたら見せたくなっちゃう旦那さんの気持ち、すごいわかるって思いながら見てた。
それに最近、彼女さんとか友達とか「人」を題材に作品っぽく撮られた写真を見るのが好きで、フォローしに行ったりいいねしたりしてるから、奥さんを作品ぽく撮る人もいるんや~って割と肯定的・楽しい気持ちで見てた。

そしたら番組が進んでいく中であるコメンテーターの方が「自己承認欲求が嫁にまでいったか。パンケーキと一緒ですよ」って言ってるのを見た。真麻さんも「自分が被写体として撮られているところを誰かに見られてるのは恥ずかしいって思っちゃう」って言ってた。スタジオにいる人は結構否定的な見方をする人が多かったように思う。
放送後気になってツイッターで検索かけてみたら、個人的にだけど、やっぱり嫁グラフィーを批判的に見る人が多いなあという印象を受けた。(身内自慢っぽいとか、アマチュアがプロ気取って作品っぽく撮ってるとか、二人の楽しい世界を見せられてるのが寒いとかそういうコメントをいっぱい見た…)
VTR自体は割と明るい雰囲気やったのに、スタジオも世間も割と冷ややかな目で見てて、そのギャップがすごい悲しかった。上で挙げたコメンテーターの方の意見に対しても「いやそれな」「的確すぎわろた」っていうのが多かった。

「自己承認欲求が嫁にまでいったか。パンケーキと一緒ですよ」っていうのは、”インスタ映え”を狙う人々やお店や観光地等々、日本社会に向けた”風刺”(という言い方が適切かはわからないけれど)としては非常に的確なように思える。女の子たちがおしゃれなパンケーキをSNSに投稿することに夢中になるように、旦那さんが自分の奥さんを”ダシ”にして「いいね」をもらうことに夢中になっている、ということが言いたかったのかなと。私にはそのように受け取れた。

歯に衣着せぬ言い方に「それそれ!」と、痒い所に手が届いた人も多かったみたいだけど、歯に衣着せぬ言い方は無作為に多くの人を傷つけてしまうなあって思った。実際私はあまりいい気持ちになれなかった。純粋に写真を楽しもうとしていたり、大切な人との思い出の瞬間を残したいって思う人たちの気持ちまで否定された気がした。
いい写真が撮れた!と思ってもそれをSNSに挙げた途端「映え狙いだ」「自己満だ」っていう言葉で片付けられてしまう世の中になりつつある。万人受けする写真・言葉・考え方ってないし、みんな自分とは違う価値観だから、叩かれる可能性があると分かったうえでSNSを活用していかなきゃならないんだろうけど、人間だもの。傷つくときは傷つく。強い言葉は刺さるけど、鋭利すぎると心がチクチクする。自分とは違う価値観があるとわかっていても、どうしても自分の世界の中で・自分の物差しで測って物事/思想の善し悪しを決めつけてしまう。私も含めてだけど。反省。

コメンテーターは不特定多数の人が見ている場で、自分の意見をわかりやすい言葉で、時には激しいと思われるような言葉で「伝える」お仕事。価値観が全く同じ人なんてどこにもいないし自分の考えが受け止めてもらえるかも分からないけど、それでも「あなたどう思ってますか」と聞かれたら矢面に立って言葉を紡いでいかないといけない。
その大変さを分かって言及しつつも、私はそのコメンテーターの方が発した一言についてここまでまあまあの長さで書いてきたのだけれども笑、今回のスッキリを見て、家を出たら全部公の場ってもっと意識した発言を心掛けなきゃなあって思った。SNSも家の外。この場所もそう。コメンテーターでなくとも発信者である以上、「伝える」ことに意識をもって発する言葉に責任を感じないといけないってここ最近よく思う。「正論は正しい、だが正論を武器にする奴は正しくない。」わたしの大好きな小説のひとつ「図書館戦争」で出たお気に入りの言葉。正しければ何言ってもいいわけじゃない。

思ったことなんでも言えばいいってわけじゃないし、かといって何にも言わないのも違う気がするし。はっきり言いすぎないことも時には大事だけど、あまりにも濁すと結局何言いたかったんやってなるし。その曖昧さがいい余韻となって心に残ることもあれば「何これ、私のこと言いたいの?」って勘ぐられることもあったり。その逆も然り、私も勘ぐっちゃうことあるし。あと名前を伏せてたら何言ってもいいっていうわけでもない。だけど八方美人でいてもストレスたまっちゃう。
今自分が誰かに聞いてほしい話は、家でしゃべる内容なのか、友達に話す内容なのか、パートナーに伝えたいことなのか、不特定多数に聞いてほしいのか。何事もバランスの見極めが肝心。だけどそのバランスが難しい。だから失敗しちゃうこともある。

一語一句に神経とがらせるのは不可能だけど、自分がどう思っているかにプラスして「相手に何を伝えたいか、何が伝わってほしいか」少し気遣うだけでも違うのかなって。身に染みて痛感してるっていうのもあるけど。(日々勉強ですね 笑)ここでも勉強していきたいって思う。伝えたい言葉と伝わることって必ずしも合致しないってこと。そのうえでどんなことを書きたいのか模索させてください。

ここで書く記事、日に日に長くなってる気がしなくもないですが、今回の記事でお伝えしたかったこと。
私は詩を書くのが好きで携帯のメモとかインスタのストーリーに書き残すことが多いのですが、去年のいつぞやに書いてた作品がまんま今日言いたいことと合致してたのでそれを載せて締めくくります。
こっぱずかしい気持ちになる人もいるかもしれませんが(笑)、こういう言葉を書き連ねていくのが好きでいつかは出てしまいそうなのでそれならいっそ早めに出しちゃおう作戦です。

本日もお付き合いいただきありがとうございました。ではまた次回。


『誰かの心に留まるような言葉を発したいと
 常日頃から考えている

 言葉は武器だという人がいる
 たしかに言葉にはパワーがあるけど
 誰かを傷つけるものであってはいけないと思う

 トゲのある言葉は刺さって抜けない
 でも その鋭利さゆえに心に残る言葉を
 私は使いたくない

 いつでも思い出せるような言葉じゃなくて
 ふとした瞬間 ここぞというタイミングで
 その人を
 ふわっと包み込める毛布のような
 導いてあげられる標識のような
 支えてあげられる杖のような

 そんな言葉が使える人になりたい』



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