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ただいま帰ってきました。これからここで話していきたいこと。

仕事終わり心斎橋で歌のレッスンがあって、終わって、今帰り道。23時52分。もうすぐ日付変わるよなあってスマホの左上の時計をみやる。

自分の席の周りからはいびきが聞こえたり、寝過ごしかけた人が慌てて降りたかと思えば置き忘れたメガネを間一髪で取りに来たり、酔っ払いの人が通路を歩いたり、急に大きめの唸り声が聞こえたり。
日付変わる瞬間の電車ってそんなもんか。そんなのを自由だな〜と横目で見ながら、感じながら書いてみる。
なぜか分からないけど、ドアが開いたまましばらく西大路駅で止まっている。どうやらホームで転倒した人がいるらしい。大丈夫かな。と少しだけ心配はするけど現実問題、ドアが開きっぱなしの電車は冷える。ゲンキンな人ね、わたしって意外と冷たいのかしら、とも思う。


さて急に筆を取ってみたのは、今日仕事中、敬愛するボス兼大好きな人からとあるアドバイスというか、提案というか、私がやってみたい!と思うアイデアを、流星のごとく私に降らせてくれたので、まずはひとつやってみよう!と素直に書き始めた。

それは「なかごうまいにとっての表現とは何か、表現について思うこと」を考えて、ここ、noteに記してみる、ということ。

note自体は細々やっていたけれど、それも数年前に何回かだけ、細々すぎてもはや霞んでいた。同時に複数のsnsを動かすのが苦手で、主な生息地はインスタ(特にストーリー)一択の私にとって、ここで筆を取っているのはもはや天変地異レベル。
ここに再び文章を綴りにくる理由が、大好きな人の簡単な後押しで、相変わらず自分ちょろいな、と思いつつ、のびのびどこまでも書いていい真っ白なノートに、とても今、ワクワクしている。

誰かのために書くのではなく、自分のために書く文章が1番長続きするらしい。
だから私は、まずは誰のためでもなく自分のために時間を作って、使って、私の心の輪郭を縁取ってみることにした。


表現について、って書くとめちゃくちゃ広い、なにか概念的な、ぼやっとした話になりそうって心配したでしょう。私も少しだけ心配してた。

でも、私にとって「生きることが表現」みたい。
「なかごうは自分の生き方自体で自分を表現してる子」「過ごしてきた時間の全てがなかごうまいの表現方法のひとつ」って言ってくれる人がいるから、多分私はこんなにもさらさらと、肩肘張らずに書きたいこと書けてる。

だから、“表現”という視点は多かれ少なかれ持ちながら、私の生き方・考え方・過ごしてきた時間を、ここでひとつずつ表して、現してゆきたいと思います。


…ここまで内容ペラッペラだったかも。どうしよう。それでもまずは思ってることを激流に身を任せて書いてみる。洪水になるまで、思いを満ちさせる。
書き進めている今この瞬間も、自分が少しずつ満ちてゆくのを感じる。もっと早くやってたらよかったな。とっても楽しい。

言葉の純度、密度をあげられたらと思いながら、でもあまり読者の方を気にしすぎず、たくさん書きたいです。よろしくお願いします。

次、最寄駅だから、書きたいことの1割も書けてないけど、一旦筆を置く。

家に帰ったらまず、何もかも置いてシャワーに入って明日の仕事に備えてください、わたし。



2024年1月13日 0時14分
コンタクトが乾燥して目ばしばしのわたしより

PS:写真は今年の元日のわたし。母に着せてもらって嬉しそう。私もお相手に振袖を着せることはできるので、いつか本番を迎えるどちらかのお嬢さんに着せつけてあげたい。密かな夢。

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