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海外留学に向く子、向かない子の違い

ここ数年、マレーシアへの教育移住が、ポピュラーになっているようです。


これは私も肌で感じていて、2年前に私たち家族がマレーシアに移り住んだ時の倍以上に、日本人ご家族の数が増えたように思います。
(事実、子どもたちのクラスの日本人生徒数も、それぞれ倍になっています)

我が家は「親が海外に住みたい!」という理由で、子どもたちについてきてもらったのもあり、純粋な教育移住とは違うのかもしれません。

ですが、やはり記事にあるように
「日本以外の国も知ってもらえたらいいな」
「家族みんなで英語が話せるようになったらいいな」

と、「子どもの教育にも・・・」という想いも抱いて、マレーシアにやってきた部分もあります。



その上で、加熱するブームの陰で「学校に行けなくなってしまうお子さん」がいるという話を、少なからず耳にします。

「早く英語に慣れるように、と、日本人がいない学校に転校させたところ、お子さんが学校に行けなくなってしまった」

「英語力がまだ十分でない状態で留学したところ、授業についていけず『日本に帰りたい』とこぼすようになった」



ある方が「インターナショナルスクールは『英語を学ぶところ』ではなく、『英語で学ぶところ』」と仰っていましたが、本当にその通りだと思います。

そこを十分理解せずに「良さそうだと聞いたから」という理由だけで教育移住すると、英語が満足に話せないまま、数年間の勉強の遅れを抱えて、結局日本に帰る・・・ということも起きてしまうのかも。

親の選択でマレーシアに来た以上、我が家も襟を正す想いです。



なぜ「平気な子」と「そうじゃない子」がいるのか

ここから先は、私の「占星術的考察」です。

お子さんが移住する年齢、英語力だけでなく、そもそもお子さんの「パーソナリティーに合っているかどうか」は、海外生活に慣れる上でとても大事な要素なのでは、と考えています。


先生やクラスメイトがなにを言っているか分からない。自分が伝えたいことの半分も言えない。

そんな、大人でも泣きたくなる環境の中でも、すぐに馴染める子もいれば、そうじゃない子もいる。

この「パーソナリティー」の部分を「生まれ持った星の性質=星質」を参考にして考えてみるのもいいのかもしれません。


星質を探る時に見る箇所はいろいろとありますが、海外や語学、というキーワードは、ホロスコープの中で「9ハウス」が担当しています。

「ハウス」は良く「舞台」に例えられます。
自分が生まれ持った「らしさ」が、どんな舞台で生きるのか。
そのことをハウスは教えてくれる。
だからこそ、9ハウスに「らしさ」がある人は、海外や語学に縁がある、と言えたりします。



我が家の場合、私も、夫も、次女も、9ハウスに「らしさ」があります。
すっごく簡単に言えば、海外に行くという選択肢が、自分の選択肢として自然にある、という感じです。
(もちろん、どんな「らしさ」があるかでニュアンスは変わりますが)

一方で、長女は9ハウスに「らしさ」がないんですね。
代わりに「家族・居場所」をテーマにしている「4ハウス」に「らしさ」がある。

彼女にとっては「家族と一緒」「居場所があると感じられること」が、大事なんだろうな、と思っていました。



だから、年齢的にも、英語力的にも、移住する際に夫婦で特に気にかけていたのは長女で。(次女よ、君はどこでもやっていけること、母は星を見て知っている。)

最初はインターナショナルスクールではなく、日本人学校に通ってもらおうか、なんて話もしていました。それでも、環境の変化が負担をかけることに変わりはないのですが。

最終的に長女の意向も踏まえて話をした結果、インターナショナルスクールに落ち着きました。

・姉妹そろって同じ学校に通ったこと
・クラスに日本人の子が何人かいたこと
・勉強勉強ではなく、イベントも充実している学校を選んだこと

で、長女も比較的すんなりと「居場所」を見つけやすかったのではないかと思います。

もし、「早く英語に慣れてほしいから」という理由だけで、日本人がいなくて、ビシバシ勉強させられるスクールに通っていたら、長女はうまくやっていけなかったかもしれません。


もしかすると、学校に行けなくなってしまった子たちの中には、長女と同じような星質を持っている子がいるのかもしれない。

後づけで色々言えるけれども、でも、星質的に「海外が合う子と合わない子」は、やっぱりいるんだろうな、と私は思うのです。




なにを大事にしたいか、考え続ける

英語が話せるようになってほしい
グローバルな視点を身につけてほしい

親には色んな願いがあります。
私にもあります。


「親のエゴ」と言われるのは承知で、それでも、「自分ができることをしてあげたい」と、思うんだと思います。

その上で、「なにを大事にしたいか」を忘れてしまうと、途端に流されてしまうのではないかな。


「なんのために、どうなりたくて、今これをやっているんだっけ」



最初は、「子どもが楽しく学校に行けていればいいや」と思っていた。

でも、次第に

「英語をもっと話せるようになってほしい」
「もっと高度な勉強をしてほしい」
「●●の資格を取って海外の大学に行ってほしい」

みたいに、新たな「願い」が生まれてくる。

それを「エゴ」と、人は言うのかもしれないけれど。

学校を変えたほうがいいのだろうか
住む場所を変えたほうがいいのだろうか
習いごとをさせたほうがいいのだろうか

子どもに代わって、親が悩み始めます。


そういう時こそ、はい。

「なんのために、どうなりたくて、今これをやっているんだっけ」

の、出番です。

クエスト風呪文にすると
「ナニシタイノン」
ですね。

子どもを優秀な人に育てたいんだっけ?
子どもをグローバルな人材に育てたいんだっけ?
子どもに海外の大学へ行ってほしいんだっけ?


そのために、この子を産んだんだっけ?

確かにそうなったら嬉しいけれど、でも。



多分、そういう色んな「願い」をそぎ落としていった後で残るのは

この子に「生まれてきて良かった」と思って欲しい
「生きていて楽しい」と思って欲しい

みたいな、純粋な愛なんじゃないかな。


「ナニシタイノン」で「本当に大事にしたいこと」を見失わず、お子さんの星質をヒントに、進みかたを一緒に考えてみる。

なんだかまとまりのない文になりましたが、自分自身への自戒の意味も込めて。

それでは、また。






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