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私の発達障害について

今から丁度3年前の2021年、私は発達障害(ADHD・ASDの併発型)の診断を受けました。当時、私は25歳で社会人3年目。
現在は服薬と月1の通院をして生活をしております。

ここでは私が発達障害の診断に至るまでのことや私が受けている治療のことについて簡単にざっくり書いていこうと思います。

1.診断と服薬の話

私が発達障害の検査を受けたきっかけは、自分の中にあった周囲とのズレの正体をはっきりさせるためでした。
当時というか、小さい頃からずっと人間関係を築くのが下手なことや仕事面のミスが多いこと、空気が読めないなど、なぜか日常生活で上手くいかないことばかりで悩んでいました。
その中で発達障害という言葉を知り、「もしかして私は発達障害だから上手くいかないことが多いのか?」と思い、地元の精神科を受診して検査をすることに。
そして、案の定、ADHDとASDの診断が下りました。
診断が下った時は「やっぱりなー、周りが普通にできることが私ができないのは病気だったんだ」という納得感というか安心というか。自分がダメな人間ではないと肯定されているような気持ちでした。

私は仕事のミスを軽減したいという理由から、服薬を希望したところ、ストラテラが処方されました。
これは後々知りますが、ストラテラのメリットは依存性や離脱症状が少ないため安全に服用ができるそうです。(デメリットとしては効き目が出るまでに時間がかかることと言われています)
とはいえ、ストラテラの服用始めは副作用が酷く、気持ち悪くなったり、めまいがすることがよくあって薬をやめた方が良いのではと何度も思いました。
ストラテラを服用してから1カ月くらい経ってから、副作用を感じにくくなり、2カ月くらい経って落ち着いて仕事ができるようになりました。

薬は1カ月分処方されるため、月に1回通院しており、その際に主治医の先生と15分くらい、悩んでいることなどを相談してアドバイスをいただいています。主治医の先生は最初は気難しそうで怖い先生と思って苦手意識を持っていましたが、今はとてもいい先生だなと思えるくらいなんでも言えるようになりました(笑)

2.私の特性

私の特性について主だったものを数点挙げてみました。

・味覚過敏→今もですがとにかく好き嫌いが多く、給食を食べる時にはものすごく苦労しました。ぬるぬるしたもの、舌に張り付くもの等特定の食感で食べられない物もたくさんあります。

・三角食べができない→口の中でいろんな味が混ざるのが苦手で、1つの皿を空にしてから次の皿に取り掛かります。その他にも丼だったら上の具材を全部食べてから、ご飯ゾーンに突入するという食べ方で食べています。

・耳から聞いたことが頭に入らない→学生時代に顕著に出ましたが、板書がある授業は理解ができてテストの出来もいいのに、ひたすら先生が喋るだけの授業は内容が全く理解できず、成績も悪かったです。社会人になってからはノートやメモを取るときに何が大事か分からなくて、後から見返してもぐちゃぐちゃになることがしょっちゅうです。

・自分ばかり話しすぎる→友達と会っている時など、自分のことをばーっと息をつく間もなく話してしまいます。友達と解散してから「そういえば〇〇ちゃんの近況について全く聞いてないや」と気付くことが多々あります。

・同じものばかり食べ続ける→気に入ったものは毎日食べ続けます。しばらくしたら飽きて別のものを食べ続ける・・・みたいな延々ループです。ある時はさけるチースをひたすら食べ(しかもいつもスモーク味)、飽きたと思えばおっとっとを食べてるということがありました。

・集団の飲み会が苦手→1対1のサシ飲みならいいのですが、人数が多い飲み会だと誰の話を聞けば良いのか、テーブルの料理に手をつけるタイミングはいつがいいか、隣の話し声で、一緒に話している人の話が頭に入らないなど、とにかく頭がパニックを起こすので結局最後は1人料理に手を付けずに黙ってしまいます。そもそも私はお酒が飲めないから飲み会に参加しても、会費が高いことに不満を持ってしまい、ここ数年はずっと不参加です。

・無駄遣いが多い→計画的に買い物をすることができず、大体衝動買いをしまってお金がなくなってしまうパターンです。結局同じものを買っていたり、使わずに捨ててしまう・・・てことを繰り返しがち。

これだけ書いてもまだまだ出てきます・・・。
ここまでの特性を書いて思うことは、この特性、私だけじゃなくて私の父も全く同じ特性を持っています。父は発達障害の検査を受けていないので、実際はどうか分かりませんが私の発達障害は父から遺伝したものではないか?と思っています。

3.カミングアウト

発達障害の診断を受けて割とすぐに、家族、友人数名、当時の職場にカミングアウトをしました。

・家族→母、妹、祖母にカミングアウト。母は昔から私の特性について色々思うことがあったようで、もっと早くに対処していればよかったのかなと後悔があるようなことを言ってました。妹と祖母は特に気にしたことない感じで受け流していました。
父は発達障害について偏見のある人なので未だに言えずにいます。

・友人数名→定期的に会う友人にのみカミングアウト。全然そんな感じしない!という人もいれば、私に対して感じる違和感にしっくりきたような人もいました。
この中で1名は「もしかして、私も発達障害なのでは?」と思い、病院を受診したところ、ADHDと診断されて私と同じくストラテラを服用してます。

・職場→ストラテラの服用を始めた際に部署の上司にカミングアウト。どちらかというとストラテラの副作用が強いので、気分が悪くなって遅刻したり、欠勤してしまう可能性があることについて触れたのみです。

また、発達障害の診断から1年後に彼氏が出来、付き合って間もない頃に早く言ったほうがいいかもと思い、カミングアウトしました。
彼氏は「めいちゃんのできないこととか全て受け止めるから、これからも一緒にいよう」と言ってくれました。(我ながら惚れました///)

4.診断から3年経って思うこと

冒頭でも触れましたが、発達障害の診断から3年が経ちました。
昨年に転職し、環境が大きくかわりました。
できないことはしょうがないという思考でいましたが、自分のミスや配慮不足で人に不快感を与えてしまうことをしょうがないで済ませてはいけないと思うようになり、友人や現在の職場の上司には「私のことで嫌な気分をしたり、もやもやしたらはっきり言ってほしい」といって、悪いところやいけないところに気付く手助けをしてもらっています。

ミスをしたことは上司の立会いのもと、ノートを取って自分のミスを可視化することによって自分のミスにより気がつけるようになりました。

もちろん、味覚過敏などどうにもならないこともありますが、発達障害だからといってあらゆることに対してのできないをできないで諦める必要はないと思いました。少し、周りの人に協力してもらったりして「少しだけどいい方向に持っていく」ことも可能だと自分の経験から感じています。

大人の発達障害という言葉が世間に出て来たのも私が大人になるちょっと前の話でした。私も含め、そのような方達は子供の時はちょっと変わっている子、で見逃されて大人になって社会でつまづいて自分が発達障害であるということに気付くそうです。(私も学校の成績が常によかったことが原因で見逃されていました)

最近、発達障害のお子さんを持つ親御さんのブログをよく目にすることが増えました。私が学生だった時と比べて、現在は発達障害のあるお子さんにあった環境が整っているという印象を受けました。
なんでもかんでも障害と思うのは違うと思いますが、お子さん自体が困っていることやお子さん自身の身や誰かに危害が及ぶ可能性があることがあったら、早めの支援を受けることが本人や家族が苦しむことが少なくなるのかなと思いました。

私と彼氏も子どもを持つか持たないかをたまに話し合うことがあります。発達障害は遺伝する可能性が大きいのですが、もし自分が子どもを持ち、その子供に発達障害の特性が見られることがあったら、できる限りの支援を受けさせてあげたいと思っています。

5.最後に

この記事を書くにあたり、改めて自分のこれまでを振り返ることができました。
私は発達障害の診断がショックなこととは思っておらず、自分の生き方について新たな可能性を与えてくれるきっかけとなりました。
そして私を受け入れ、支えてくれる人、仲良くしてくれる人には感謝してもしきれません。
これからもいろんな人に迷惑をかけてしまうかもしれないけど、その度に周りに力を借りながら精一杯生きていこうと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。

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