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早朝読書会

今朝はコーチング仲間が主催してくれた読書会に参加した。

早朝5:45開催
最近は早朝イベントの参加は積極的だ。
去年の私から考えられない。

主催者の藍子さんが色んな読書法を参考に今やっているという「答え探し読書法」という方法で、みんなが未読の本を持ち寄り、その本から何が知りたいか質問を立て、20分各自集中して読み、再集合後、どんな答えを得たか発表し合うという会。

私はこの自分が短時間で読んだ内容を要約してシェアするというのに苦手意識を持っている。
でも、なんだかわからないモヤモヤ感が続いていた今、昨日このイベントがあることを知り、自分のお尻を叩いて刺激を与えようという作戦に出たわけだ。

私が選んだのはスーザン・ジェファーズ著「とにかくやってみよう」という本。
これは去年の秋に買ったまま、読むタイミングなくずっと積読だった。

今私は足が前に進まない状態で、まさになんとか動きたいのになんだかなぁ、どうしたものかとモヤモヤしているのだ。
この読書会に参加できたこと、そしてこの本を手にしたのも、実はそのために用意されていたようにも感じる。

なんとなく胸に何かが閊えているからそれを取り除きたい。
買ったまま一度も開いてなかった本だが、中の目次を見てみると、

「苦痛をパワーに変える法」という章がある。
私が欲しいのはまさにこれだ。

タイトルにある通り、とにかくやってみる。そうすればその不安は消えるのはよくわかる。これまでだってあんなにやる前は大変だったのに、やってしまえばフーっと肩を撫でおろし、少しするとあんなに不安で苦痛だったものも何だったんだという状態になる。それは知っている。

でもその時は不安で苦痛なのだ。

問題なのは不安そのものでなく、自分の中でその不安をどう「位置づけるか」とある。
不安に対処することは苦痛の場からパワーの場へ移動することだと。

苦痛→→→→→→→→→→→→→→→→→→→→パワー

パワーへ移動するのはアクションを起こすということ。
上の図を壁に貼り付けて、自分はパワーへ向かっているんだということを視覚化する。
そして現在地はどこか、今どの場所にいるかを自覚する。
真ん中あたり?それともパワー寄り?
今の私はまだほぼほぼ苦痛寄りにいる。
毎日そのポイントが移動したか確認する。どっちに動いた?進んだ?

何か行動を起こすとき、それがどちらに向かうことなのか意識する。
いずれにしてもその感覚はすべて自分が頼り。
自分の直感を信頼する。

苦痛からパワーへ向かう道を楽にするには普段からの言葉使いが大切。

「私はできない」→「私はやらない」
「私は行かれない」→「行くことはできるけど、別の事を優先する」

物事を自分が主体的にコントロールしている状態に捉えなおす。

「そうなるといいな」→「そうなるとわかっている」

こうして言葉を変えると自分の気持ちが変わり、見た目も変わる。
言葉遣いを変えるということは快適ゾーンを広げることになるという。

それと同時に毎日今までやったことのない小さな何かを試してみる。
快適ゾーンからほんの少しはみ出していくことで、また広げていくのだ。

私がみんなにシェアしたのはこんなことだった。

そうだ、とりあえずやってみよう。そういうことだ。
小さな何かを。
そうやって自分が不安からパワーの方向へほんの少しでも進んで行く。
今まずできること。それを重ねていくこと。

コーチングでいつも言っていることと同じだ。
そしてそれをやっていなくもないようにも思えてきた。
ついつい出てくる。「できない。できてない。」という言葉。
「いやいやそんなことないよ。
小さく動くことを気をつけているじゃない?
大丈夫だよ。」
そんな言葉が自分の中から聞こえてきた。

あれ、少しパワーの方へ進んだかな。

20分で自分が今知りたいことを集中して読む。
知りたがり屋な私は、もっともっとと読み進めたくなるのだが、それはそれで良しとして、この時間を共有してみんなでシェアする会というのはとても有難かった。
そう、このシェアすること自体が私にはちょっとしたトライになっているのだと気が付いた。

そして、他の参加者の話に刺激を受けるし、本が読みたい読みたいと思いながらも読めない、、、、いや敢えて読まないで別のことを優先しているので、こういう会があってこそ、前に進める。
とにかく私はこういうみんなで一緒に何かを共有することが好きだ。

主催してくれた藍子さん、ご一緒してくれた皆さん、ありがとう。
今朝はいいスタートを切れたことに感謝。



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