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人は死んだらどうなるの

ずっと混乱していました。

人は死んだらどうなるのか、大人になれば分かると思っていたのに、全然分からなかったから。

分からないから、死ぬのはたまらなく怖い。身近な誰かに「その時」がくることを思うだけで涙が出る。みんなは悲しくないのかな。いっそ、何も考えずに死んでしまったほうが楽なんじゃないだろうか…。

悶々と考えては、日々の忙しさに流され、たまに思い出しては、忘れ、そんなことを繰り返しながら生きてきました。

それでも死は訪れる

ラテン語の "memento mori(メメント・モリ)" という警句を知っていますか?

直訳すると「死を想え」。
自分がいつかは死ぬってことを忘れちゃいけないよ、という意味です。

死は、誰にでも必ず起こる。
でもいつ起こるかは分からない。
死んだらどうなるのかも分からない。

分からなさは人を混乱させます。だからこそ分かりたくて、でも怖くて、本や映画や、身近な出来事を通して、安全に「死」に接近する方法を探してきました。

心理的な死

興味深いのは、肉体的な死は一度しか経験しないけれど、心理的な死一生のうちに何度も経験するという点です。

たとえば、

  • 学生から職業人になった時

  • 昇進や転職した時

  • 結婚した時

  • 子どもをもち親になった時

  • 知らない土地に引越した時

  • 結婚生活が破綻して離婚した時

  • 病気や事故で体の一部を失った時

  • 災害、不幸を経験した時

  • 親の老いと向きあった時

  • 大切な人の死に立ちあった時

  • 自分の生き方を見直さねばならない時

などなど。

人生の転機と心理的な死

ここで挙げたようなライフイベントは、馴染みある状態から未知の状態へ、私たちを変容させます。いわば、人生の転機(=危機)です。

転機が訪れると私たちは、今の状態をどんなに気に入っていたとしても、古い自己を失い、新しい自己を創っていく体験を強いられます。出世うつ、マリッジブルー、産後うつなどは、その典型的な状態といえるかもしれません。周りが祝福してくれるような昇進や転職、結婚、出産などのおめでたい出来事にも、必然的に、心理的な死が関わっているわけです。

トランジション

Bridges によれば、人生の転機(=トランジション)は「終わり 〜 ニュートラルゾーン 〜 始まり」の3段階からなります。

「終わり」すなわち心理的な死の時期は、ライフイベントをきっかけに始まる場合もあれば、日常生活の中で複数の出来事が重なって始まる場合、また、意図しないタイミングで突き上げられるように自然発生する場合もあります。

人は跳び上がる前に、かがまねばならないのだ。このような旅はまた、たった一人で行くしかない。

ウィリアム・ブリッジズ. (2014). トランジション——人生の転機を活かすために (Vol. 18). Pan Rolling Inc.

トランジションは、たった一人の旅路です。

ただし、その道のりは険しく厳しい。なぜなら、「終わり」には絶望、無力感、喪失感、痛み、悲しみが伴い、「ニュートラルゾーン」と「始まり」にもそれぞれの困難さがあるからです。(困難を取り除くのではなく、乗り越えられるように応援するのが、心理療法です。)

結論

ここまで「心理的な死」に焦点を当てて考えてきました。
そして、長年の問いに対する現時点での私の答えは、次のとおりです。

人は死んだらどうなるの。

想像もできないような形で再生する

これは、私自身がトランジションを応援してもらったことで辿り着いた、とりあえずの結論です。これからまた変わっていくかもしれないし、変わらないかもしれない。少なくとも、今の私にはフィットしています。

死は、変容過程のひとつであって、その先のことは死んでからしか分からない。だから、分からなくて本当に残念だけれど、きっと得体の知れない形での「始まり」がある。そう信じて、現時点では保留することにしました。

今日も読んでくれてありがとう。

それではまた。
岸原麻衣


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