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教育とは、正解を教えるものではないのだと知った

昔、アメリカへ留学していたのですが、通う高校へ行った初日の出来事・・・

学期はすでに始まっており、私は1週間ほど遅れて入ったのでまずカウンセラー室へ案内されました。学校のあれこれの説明を受け、校内の地図を渡されました。不安いっぱいのなか、私はそのA4の地図を片手に校内へひとり放たれたのでした・・

高校はマンモス校で、とにかく広くてどの教室もどの廊下も同じ様に見えたものです。家族には方向音痴と呼ばれ、地図もろくに読めない私は校内を彷徨い、初めの数日は地図とにらめっこしながら毎日迷子状態・・

1週間ほどたった頃でしょうか、ある日、時間割が私のと似ている子を見つけ、ついて行くスタイルに。地図を見なくてよくなった分、視野が広がり、全て同じ様に見えていた校内も教室ごとの違いなどに気付き始め、次第に私の頭の中に自分の地図が作られ始めました。いつしかA4の地図はそれ以降出番はなく、それでも地図は長いことリュックの外ポケットに小さく折られて入っていたことを思い出します。

地図なしに行動できる様になったとは言え、3年間午前中だけしか通わず(午後はバレエ学校に行っていた)授業以外の何の活動もしていなかった私の脳内地図は非常に限定的ですが、校内の風景は今でも思い出されます。

知識を教えられるのが教育ではない

さて、話は大きく変わりますが、フェルデンクライスメソッドの認定講師になるには3年半のトレーニングがあります。この長いトレーニング期間、筆記のテストは一度もありません。課題として何かを覚える様に言われることもなく、教科書もなし。唯一あるのは、FI(個人レッスン)の実技試験のみ。これも試験といっても何か固定の方法を覚えるわけではなく、自分で考え行います。知識や能力を測るようなテストは無いままに全トレーニングは終了するのです。

テストがあったらあったで文句をいうのでしょうが、このテストがない3年半にも及ぶトレーニングは本当に自分が理解しているのか、という不安で終始ソワソワしていたことを覚えています。

とは言え、当たり前に解剖学的な単語はトレーニング中、毎日出てきます。私の同期16名の中に理学療法士が4名、医師が2名、元看護師が1名いましたので、すでに知識のある人はいるわけですが、そうでない人からとても初歩的な質問が飛んでも嫌な空気が少しも流れない雰囲気でした。(それもとてもフェルデンクライスの世界では共通の感覚)

そして、メソッドのトリック(方法)も教えてくれません。フェルデンクライスメソッドは身体をより楽に自由に動かせるようになるメソッドなのですが、良い姿勢とは何なのか、何をどうしたら腰痛が治るか、何をどうしたら股関節が自由に動くようになるのか、何をどうしたら首が回る様になるのか・・・とにかく「何をどうしたら」の部分を教えてくれないのです。例えば「股関節の硬い人は〇〇だから、これをこうしなければならない」的な、単純に方程式を教えられることはありません。

実は私はフェルデンクライスのトレーニングに入る直前、ヨガ講師のトレーニングを終えたところでした。そこでは教科書が渡され、筆記や実技試験もあり、それこそありとあらゆる方程式(正解)を教え込まれ、覚える、と言うプロセスでした。逆にそれは私がそれまでに受けてきた教育のスタイルでもあったので何の疑問もなく、この掴みどころのないフェルデンクライストレーニングの方がソワソワとしてしまいました。

じゃあ3年半もの間、何をしていたの?と思いますよね・・笑

正直なところ、自分も何をしていたのか当時はよくわかっていませんでした。でも今から考えれば、ひたすらフェルデンクライスレッスンをして自己の学習の過程と向き合う時間でした。自分がどう感じているのか、どうしたいか、自分の神経システムだけを頼りにフェルデンクライスと言う広大な森を彷徨う3年半。

終始インクルーシブな世界で、ジャッジされることもないし、テストも無いのにトレーニング同期の中の1/3の人が途中で脱落していきました。いわば遭難者です。

人間の成熟が目的

終わってから気づいたのですが、3年半のトレーニングは地図なしでフェルデンクライスという広大な森に放たれ、ひたすら自分のペースで自分の地図を作る作業でした。そしてフェルデンクライスの森、と思っていたその広大な場所は自分自身の神経システムだった、ということにも。(だから教科書はなく、言うなら教科書は自分の中にあったのだ)

神経システムの地図を作る作業はいまだに続いています。自分の神経システムを知る、という作業はすなわち自分の学習方法を知る、ということです。情報を得た時、何かをしたい時、私はどう受け止め、どう反応して、どう動くのか。それを知ること、深めることは、フェルデンクライス氏の言葉を借りれば『人間の成熟』。

私の神経システムの森の地図作りはまだ始まったばかり。私の高校時代の限定的な脳内地図のようではなく、生まれてから死ぬまで私を私としている神経システムの地図作りは時間を惜しまず続いて行く作業となりそうです。

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