見出し画像

英語力って何?

先日、英語力と教える力は別物ではないか?という記事を書きました。

これは半分自分に言い聞かせるために書いたようなものでした。というのも、私自身が学生時代からこの「英語力」という言葉に振り回されてきたからです。

私は今でこそ読書の楽しさに気づいて通勤時間に本を読んだりするようになりましたが、学生の頃はとにかく「読むこと」自体が嫌いでした。

日本語でも英語でも。

今思えばADHD傾向にあった私は、中学や高校の英語の授業では聞いたり話したりする活動のほうが好きで、長文読解の時間は英文がアリの行列にしか見えなかったから大嫌いでした。

幸い、聞く・話すを重視してくれる先生方に恵まれていたので英語そのものが嫌いになることはなかったです。

大学生になって部活で英語即興ディベートを始めました。いろいろな大会に出て、多少文法が間違っていても勝つことができること、逆に、自分よりも英語の発音がうまくない(と思われる)相手にもロジックで負けてしまうことを知り、英語は「学ぶ」もの以前に「使う」ものだということを痛感しました。

使える英語を子供たちに教えたいと思うようになったのはこの頃からです。

一方で、リーディングの勉強は特にしていなかった私は、大学の英語クラス分けテストや教員採用試験など、いたるところで「読み」の力が試されるたびに自分の英語力の無さを目の当たりにすることになったのです。

大学4年の時、何かの間違いで教員採用試験に受かったのですが、その日の自己採点※以来テスト恐怖症になり、【英語力の低い英語教師】というレッテルを自分自身に貼ることになりました。

※東京都教員採用試験の1次(ペーパーテスト、リスニングなし)の結果は4割程度。

英語教員は英検準1級相当の英語力が必要とされているという話を聞くも、部活が忙しいことを言い訳に受験せず…

「英検何級持ってますか」と毎年聞かれるアレ(「教師の英語力調査アンケート」的なやつです)に「英検?…あぁ…2級…です」と劣等感に苛まれながら答えていました。

しかし、教員4年目の時に海外派遣研修に行かせてもらうことになり、IELTSというテストを受けさせられました(結果6.0)。6年目の中央研修ではAptisというミニIELTSのようなテストを受けました(結果CEFRのB2)。テスト対策などはゼロ。

文科省の対照表によると、CEFR B2=英検準1級!!!

え、これ英検準1級とれるんじゃね?!と思い、書店で準1級の語彙の参考書を開いたとたん、言葉を失いました。

テーマが幅広すぎる!

そこには「中学生に英語を教えるプロ」になるのには必要ない、いわゆるアカデミックイングリッシュがずらり。さらに英検といえば、スピーキングに至ってはIELTSなどと違って2次に行かないと測ってもらえません

リーディング嫌いかつテスト嫌いな私が合格する可能性は少ないでしょうし、合格するためにそれ専用の語彙を増やしたりお金をかける気にもなりませんでした。

これを英語教員に求めて何になるんだろう?と思うと同時に、先の対照表についても懐疑的になり始めました。リーディング重視のテスト(英検)と4技能を平等に測られるテスト(IELTS)の換算表を作ること自体がナンセンスなのではないかと。

語学力を測ったり証明したりすることってそんなに簡単なことじゃないんだと悟り、自然と劣等感も消えました。

そして生徒の「英語力」を測る際にも同じことが言えると思います。

読解力や正確さ重視の英語教育が行われている国が実施するテストで、生徒たちの英語力が適切に測れるでしょうか。

かわいそうなことに、彼らは定期テストの点数、入試の結果が「英語力」だと思いこんでいます。というか私たち大人がそう思わせてしまっています。

Reading重視、accuracy重視の英語の試験の点数=私たちの「英語力」じゃないよ!

これを10月から担当することになった中3の生徒たちに、経験談も踏まえて伝えたところ、「英語嫌い!」といって伏せていた子が授業に対して意欲的になったり、「高校になったら頑張ってみようと思う」とわざわざ言いに来てくれたりと、明らかに反応が変わりました。

来年度は、この前提を生徒たちと共有した上で授業を作っていきたいです。

中学生に文法をしっかり教える教えないという議論の前に、大人の中で

「英語力を測るのって難しいよね」

とか

「学校の英語のテストはリーディングと正確さに厳しいよね」

とかいう共通認識が早く広まってほしいです。

ちなみに私は中学生に文法を教えるのは必須だと考えています。この話はまたいつか…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?