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腹の上の圧倒的な「今」

寝かしつけるときに、自分の腹の上に子をうつ伏せに乗せて、背中をトントンしながら、真っ暗にした寝室で二人きりになる時間が、今の生活で一番、無になれる瞬間な気がしている。何も見えない宇宙に二人だけで、腹にお互いの体温を感じながら、浮かんでいるような、なんだか重力もどちらが上で下だかわからないような感覚になる。感じられるのはただただ彼の息の音と腹の脈動だけ。たった二人だけ夜の大海原に置き去りにされたような孤独と、それでいて絶対に無敵な気すらする安心感。自分の親に、その小さな命を守ってあげている気になるかもしれないけど、守られているのはあなた自身であると言われた意味は、頭ではまだわからないけど第六感的にわかる気はこの時間で覚えた。

時間というのは有限で不可逆で、自分がいずれに死ぬことは自明であることくらいわかっているつもりだけど、それでいて毎日の繰り返しが永遠のような気がしていた20代と比べて、こいつが生まれてからは、ああ時間は刻一刻と未来の方へ進んでいってるんだなあと、まざまざと見せつけられる。今日は笑った、今日は持った、今日は何やら意味不明に喋った、今日はつかまって立った。何かが次々とできるようになる彼の時間の経過の表現はみずみずしく華々しい。20〜30代はそういう意味では人生で最も高止まりの期間で、時間が均質で感じられづらいのかもしれないし、それは幸福なことでもあるかもしれない。時間が経たなければ人は不死身なんだから。次に我が身が時間の経過を感じるときは何かが日々、できなくなっていく老いによるものなのかもしれないと思うと、隣でみずみずしく時間を刻む存在がいてくれるのはせめてもの救いのような気もするし、より残酷な砂時計な気もする。ただ一つ、得難いなあと思うのはこうやって、真っ暗な部屋で腹に彼を乗っけている時間が今の生活で一番、「今」にいられる時間だということです。昨日も明日もなく、ただ純粋に今にいる。マインドフルネスの基本であり境地であるこの感覚を、今日という日と同じ日は2度とないんだということを、誰よりも何よりも成長という時間の刻み方で表現してくるこの存在の、「今」がこの腹に乗っている。その、2度となさ。

もうすっかり寝付いているんだから、おいて居間に戻ればいいのに、なんだかずっと、寝るでもなく乗せていてしまう、そんな夜と言ってもそんなに深くない夜のひとときに、色々救われているなあという備忘録。

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