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本当の好奇心は、自分を希薄にする

今週は久々の講演の機会でした。ご依頼いただいたゼミのウェブにまとめがのっていたので詳細はこちらを見ていただきつつ。

「こうすると若い人に対してうまくマーケティングが機能するよ」という話以前に、「そもそも、若い人のことを理解するとどんないいことがあるの?」という話からあえてしました。まあ、おおかたのオーディエンスのみなさんは『いや、だからそれは彼らにうちの商品を買ってもらえるようになる、ってことじゃないのか』と、講演タイトルを見て思ったはずです。ただ、なんとなく種明かし的にここに書くのも卑怯ですが、言いたかったのは「うちの商品を買ってもらいたい、という動機の設定がそもそも、そこからスタートするコミュニケーションが若い人にとってみれば、そんなん知らんし」っていうものになりやすいということです。

若い人相手に限らず、コミュニケーションとかマーケティングとか、人間を相手に何か、こちらが意図していることを相手に伝えたいという仕事をするうえで、僕が鉄則というか、絶対にぶらさず持っている考え方に、「こちらの意図なんか、相手は一ミリも気にもしてないと思って向き合え」というのがあります。売上UP、業界シェア挽回、純粋想起率向上、CM好感度ランキングTOP… まあ、そういうものを背負って仕事をする側面は誰だってあるけど、「そんなの一ミリも知らん」というモードに頭を切り替えることから、すべてのコミュニケーションは始まると本気で思ってます。

若い人向けのマーケティングがうまくいかないと悩む人に少なからずいるのが、相手が若い人かどうか以前に、この「自分の都合や存在を、主語から降ろす」ことができない人。おそらく若い人じゃなくほかの年代を相手にしても本質的にはうまくいってないのかもしれないけど、そのうまくいかなさが、もっと「主語を下ろして考えないと埋めがたい違いがある」若い人向けの時に表出するんだろうと、個人的には思ってます。そしてこの「自分を主語から下ろせるか」どうかの分かれ目が、本当に若い人に興味、持ってます?ということかと。担務だから、仕事だから、ミッションがあるから… 「なぜ若い人のことを知ろうとしているのか」の動機のところが、自分都合のものしかないようだと、主語って下ろせない。知りたいとか面白そうとか、少しでもそういう自分の内側からの好奇心が持てる人は、主語を下ろせると思うのです。

みうらじゅんがいろいろな物事に没頭していくときの気持ちのことを確か、「対象が好きで好きでしょうがない状態になると、自分という存在なんてどうでもよくなる。頭がそのことでいっぱいになるわけだから。」的なことを書いていた記憶がある。結局は、好奇心を持てばおのずと自分の存在はいい意味で希薄になる。希薄になれば、バイアスも薄まって、自分と異なる存在の心のうちを無垢に見れるようになる。そんな感じでしょうか。

セミナーでもいったけど、まずは自分の後輩とか、こどもとか、身近な若い人と話してみる事からできるかどうか。やってみるといいと思いました。自戒も込めて。

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