考えにも「旬」がある

年末年始にかけて、「若者からみる未来予測2020」と仮に題して、頭の中でずっと考え事をしていた。電通若者研究部で毎月やっている、「大学生が身の回りの事象から仮説を立てて未来洞察する」ワークの1年間の総括をしようと。もちろん「ずっと」といっても全力で根詰めて考え続けた訳ではなく、「待機充電」っぽく脳の中にフラグをゆるく立てておいて、考えの解像度が上がる触媒が目やら耳やらからインプットされた時に反応できるようにしておく感じ。「ユーレカ!」とはよくいったもので、結果としてはインプットを止めている時、具体的には風呂なりサウナなりランニング中なり、急に来る訳で。考えにも熟成なり発酵なり、確実にあるという実感が年々強まっております。

「この切り口で、3つにまとめると整理できるな」
「このメタファーがぴったりハマるから、伝わりやすいはず」
「メタファーから逆算すると、新しい方向性Dもありうるなあ」

とかとか、そんなことが別のことをやってる時間に発酵熟成して、考えが進んで、さらにユーレカして・・・ こうしていると、その様だけで面白くて、発酵の化学反応をずっと見れちゃうような感覚になって、気づくと、残念なことに腐ってるんです。いつの間にか頭の中でその考えが「素晴らしい考え」になりすぎてしまって、外に出して料理するのが怖いやら億劫やらで、形にできる気がしなくなっている。自分の手に負えなくなって脳から出せなくなっている。それがワインみたくいつまでも飲めるものならまだしも(飲めるからといって一生開けないのももはやなんのための飲み物なんだろうとは思うけど)、腐る食べ物のことの方が多い気がするんです、考えって。

考えにも、食べごろというか、旬がある。早すぎても青臭くて美味しいもんじゃない。遅すぎると食べごろを通り越して、熟れすぎてじゅくじゅくになってしまう。適当なところで、ちゃんと脳の外に出さないと、手に負えない代物になっちゃうんだなあ。幸い、便利で自由なこの時代はいろんな出し方があるんだから、こうして気軽に、書けばいいのにね。

ふと、去年「プロフェッショナル仕事の流儀」の肉職人、新保吉伸さんの仕事を思い出す。普通ならとうに腐って食べられなくなるような日数を、温度や湿度をコントロールすることで、肉の中の水分量をたくみに操って、旨味を凝縮させていく、熟成の技。彼はその工程を「手当て」と呼んでいたっけ。肉をいかに、手当てするか。A2やA3といった中級クラスの赤身肉が、絶品に化かされていっていた。

考えもきっと、普通の人が「もうこれ以上考えたら、腐って取り出せなくなる」という域をいかに「手当て」で超えて行けるかなんじゃないか。というのと、食べ物と違って、「取り出して食べてみてもなくなりはしない」訳だから、あまり寝かせすぎずに、出してみて、見せてみて、反応教えてもらって、また熟成に戻せばいいのよね。

さてこの手当て仕損なった「未来洞察」、どうしようかな・・・ 頑張って、取り出してみようかな、今週末くらいに・・・ ああでもなんか大変そうだからとりあえず温泉に行ってから考えよう・・・ と、さらに進む腐敗でした。

サポートありがとうございます! 今後の記事への要望や「こんなの書いて!」などあればコメント欄で教えていただけると幸いです!