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”意見を晒す”訓練の必要

ひょんなご縁からニュース共有サービスNewsPicksの「プロピッカー」5月編の末席に加えていただいてしまって焦っています。NPの特徴である「記事にコメントを付けてユーザー同士で共有しあえる」機能を、各業界の識者・有名人がPick(NPではコメントのこと)して盛り上げいく企画がプロピッカーってことになるんですが。僕が個人活動として続けてきた学生のみなさん向けの「社会ってなんだろう」セッションの様子や、それに基づいてコメントしていた若い人達の「内側から自ら問いを立てる力」をNPの人が見ていたようで、声かけしていただいたという顛末です。

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プロピッカーになる前から、NPのpickを僕は自分にある程度、「課して」やっていました。ほかに「映画を観ること」「ランニングすること」「朝深呼吸すること」あたりは課してやっているんだけど、NPについては「世の中に自分のオピニオンを晒すことに慣れる」ための「課し」だと整理してやっとります。不特定多数の人が読む可能性がある場所に自分の見解を晒すことはある程度訓練と慣れが必要だ思っていて、経験とか場数が持てているかどうかがそれに対しての耐性を決める。別にnoteだろうがtwitterだろうが、場所はなんでもいいんですが、NPはそれをさらに「共通のお題としてのニュース記事」として他者と同じ土俵でやるのもエグイわけです。自分だけのエッセイを徒然書けばいいってわけじゃないので、コントラストがくっきりはっきり見える化されちゃう。だから、訓練になるなあと感じてます。記事の内容とか自分の得意なニュースのジャンルとかは、正直どうでもいいなあと思っていて、「ある記事に対しての見立て・仮説を構築して時間をかけすぎずにコメントを付ける」、そんな訓練かなと。(浅知恵で嘘を書くのはよくないので、そこだけは気を付けてますが)

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「自己の相対化」が最近キーワードだなと思ってます。自分が感じたり考えていることが、社会や他者にとってどんな位置づけや受け止められ方になるのか。どれほど価値のあることなのか。そういうことが自分でわかるような「晒され」が生活の中にシステムとして組み込まれているかどうかが、まっとうに自分のことをちゃんと自覚できるかを分けるように思います。ここが弱いと、ともすれば「俺のことをわかってくれる人とだけ仲良くすればいい」になったり、あるいは「バカって思われたくないから何も言わないでおこう」と常に存在感を消したい人になりがち。「発言力の初速」をちゃんと自分の中に持てるかどうかは、ビジネスはもちろんだけどそれ以外でも大事だなあって、すごく臆病で引っ込み思案だった人間としてとっても思うわけで。

想ったこと、やりたいことに対して「臆さない初速」を保つための1日1pick、続けていきたいと思っております。

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