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仕事も結局は運動神経で決まっているから。

「反応反射、音速光速」は、今まで読んできた漫画の中で一二の好きなセリフです。今、ここに意識と自分の実存を凝縮する感覚。

仕事も結構、運動神経だと最近とても思う。社会人5年目から3年間くらい、毎週毎週クライアントとのワークショップを設計して、メインファシリテーターをやって、ラップアップして、サマリーを報告してっていうのを繰り返し続けていた時期があったおかげで、セッションの運動神経はとても鍛えてもらった。大体の状況にはひとまず対応できる気がしちゃうのは完全に、運動神経的なシナプスがその時期太くなってたおかげ。大小様々な形状のコミュニケーションが複雑に、マトリョーシカのような入子構造で折り重なって出来上がるのがワークショップとかセッションなので、準備が命なのだけど、その土台の上で最後は反応反射音速光速な土壇場ってあるわけです。後輩を見ていても、いや今はそうじゃないっていう判断になるときは大体、運動神経的な状況判断が見えてない or 追いついてないときだなと思うし、オールドスタイルだと思われるかもしれませんが場数も大事なのだと、過去の自分の時間の使い方に幾ばくか感謝を覚える。

一方で。
アンラーニングという言葉が流行って久しいけどあれも要するに、「1から体の使い方を見直します」ってアスリートが言うようなアレなんですきっと。長年の運動神経の癖を一度リセットする。感覚を体に覚え直させる。自分もパーソナルトレーニングに通って歩き方や足の重心の感覚をリセットしてもらっている最中なので、そこには単に強くなるとか速くなるという純粋にプラス方向に成長するのと、ノウハウが全然違う。地味で動きの少ない、それでいて結構難しいことを何度もジリジリやっていくと、ああ確かにここの筋肉にこう重心が乗ってる感覚って今まで意識したことなかった的なことに気づくという、じれったい行為だったりする。そこに、多くの人がやらない盲点があって、ブレイクスルーが潜んでいる感覚なのかな。「大体の状況を乗り切れる気がする」とか、前の段落に書いた自分も、結構危ないと思うので、一度乗り切れない状況に陥って死んで、アンラーンせねば!って思い知らされるのも近いのかもしれない。嫌だけど。

自分が今、どんな運動神経に助けられているのかに気づいて、それをうまく使っていくことと、その運動神経による癖で何を見落としている可能性があるのか。結局はそこをよくわかった上で、自分を上手に使いこなせている人が、優秀な人っていう定義なんだろうなあという、ここ最近、忙しくて出たとこ勝負なミーティングがちょっと増えつつある自分の内省と自戒と今後を考えながらのメモ。ペコもスマイルも自分の戦法がよくわかってるシーンが、強くてかっこいいよね。


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