今年のセブンルール
自分のルールの関係性の話。
あけまして。今年もなんだかコロナが不穏なまま幕開けてしまいましたが、こういう時こそ、助け合い強めでみなさま何卒、よろしくお願いいたします。僕も助けて欲しいし、僕が助けられることがあれば誰かを助けたいと思います。(これが一番、この記事で言いたいことです)
年末の山籠りを経て、今年をどう過ごすかかなり整理できてきたので、自分の脳に定着を図るべく、ここに文章にしてみようと思います。向かう先の大方針と、そのための日々のルーティンと。山籠りすると構想ばかり大きくなって、1月早々に「ああこれ全部は無理だわー」と徐々に脱落しだし、6月頃には「あれは努力目標的なアレだから」と脇目でたまに苦々しく流し見る存在になりがちなので、be simpleを心がけて、こんな感じで行きたいな。
ルール1:ストレッチする
どんなに忙しくても、寝坊しても、夜子供が泣いてても、部屋が散らかってても、床を片付けてストレッチをする。ストレッチしている間は、呼吸と伸びている身体感覚に全集中できて、頭や目の意識への偏りから、重心を真ん中に戻せる感覚がする。特に頭脳への偏重は、過去とか未来への意識に過度に偏りを生みがちだから、「今」に戻る時間を、できれば朝と夜2回、続けたい。
ルール2:一日一学
1日1時間、テーマを決めて集中して勉強する習慣を去年からはじめて、これがすごいよかった。着想は、武井壮さんの自分磨き3時間ルーティンからだけど、3時間はハードル高すぎるので1時間から。知識は、センスや価値観を内省しつつ自己拡張するための最大の糧なので、昨年365時間、視野角を広げるストレッチをかけ続けて、結果、優しくなれた気がする。優しさとは、自分のバイアスの向こう側に自分が思っている方とは違う、「じゃない方」があることに想像力を及ばせられるかどうかに本質がある。だから、今年もこれを続けてもっと、優しくなりたい。
ルール3:音楽を聴く
あんなに学生時代は四六時中、耳に音が流れていたのに、社会人になって年月がたつにつれ、何も聞いていない時間がどんどん増えていった。単純に、毎日の情報処理の量が膨大になって、色々な考え事を常にしているようになった結果、これ以上情報増やしたくないという無意識の遮断だったわけだけど、去年末、思い立ってSpotifyをプレミアムに格上げして、昔聴きまくっていた曲たちのプレイリストをオラオラ作って聴くようにした。そしたら、自分のテンションを自分でアゲサゲできるあの感覚を、ありありと思い出せたわけです。「キーボード弾きの自分」で100%だったあの頃は、音楽を「情報」として捉える割合が高かったけど、こうやって楽器から離れて純粋にリスナーとして聴ける耳になってから音楽と出会い直せたのはよかった。今年も、一日1回は音楽を聴くことで、テンションデザインを楽しくやりたい。
ルール4:返信をやりきる
その日の返信はその日のうちに。これを「明日やろう」にすると、明日の朝の最初のタスクが「メールの処理」から始まる。朝メールの処理からやるのは、創造性をすごく下げるということを文献でも読んだし去年一年色々実験した結果、身を持って感じたので、なるべく毎日、朝「事務処理がまっさら」な状態で、一番創造性を要する仕事から着手するためのルール。
ルール5:家族に今日の出来事を話す
全ての物事は結局は、自分がそれをどう捉えるかで、糧になるか単なる傷として残るかが決まると、1年間、コーチングを受けて納得した。問題は、「人は自分がそれぞれの出来事をどうとらえているか、かなり精度甘くしか自覚していない」ことばかりだなということ。それってそんなに深刻なことか?怒ることか?焦ることか? 自分を一旦、引きで見て、ある種の他人だと思って受け止め直して、そんな大事な他人に声をかけるつもりで、「あなたならこの人になんて言ってあげられますか?」と考える。この思考でかなり、昨年のコロナストレスやら入院やら育児ストレスやらは、糧に変換できたのです。自分を一回、引きで見るために、自分の感じていることを、自分の外に吐き出すために、まず家族に話す。ライターとしての心情描写のトレーニングも兼ねて。
ルール6:日記をつける
「ほぼ日5年手帳」をつけ始めて、4年目に突入した今年。早々に続かなくなるかと思っていたけど、これは完全に定着したルーティンになりました。一日の終わりに、「何があったのか」「それをどう感じたのか」「その時の身体感覚はどんな感じだったのか」「誰に感謝したい1日だったか」を、5分でいいので書く。誰にも見せない日記に、自分の素の状態を残していく。そうすると、自分が、どんな時に何を感じてどうハッピーになる人なのか、だんだんと解像度が上がっていって、この3年間でハッピー上手に少しは慣れた気がする。その日のことを書き記して、明日には忘れて、また今に全集中。そのための、寝る前のルーティン。
ルール7:独服
美濃加茂茶舗の宝瓶をクリスマスのプレゼントでもらった。宝瓶(ほうひんと読みます)というのは、茶葉を直接入れて茶を淹れられる一人用の小さな急須のことで、虎屋菓寮で出された時からずっと気になっていた代物でした。これで、夜、寝る前に、大体の場合、櫻井焙茶研究所で買った茶葉でお茶を淹れて一人で飲む。この独服の時間が自分にとってのマインドフルネスになりつつあります。ゴールデンドロップが出切るまで宝瓶を傾けて雫を見ていると、とっても、ととのう。2煎くらい淹れて、茶葉を食べて、口ゆすいで寝ます。
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その先に、旗を立てます。
去年、インタビューをしてもらう経験があり、改めて自分が「人間のプロ」になりたいという行く先がはっきりしたので、今年はそれで強くて太くて楽しそうな旗を立てたい。これが一番の目標です。これまで培ってきた人間理解とそれに基づくコンセプト構築のスキルやマインド、ネットワークを全部合体させて、楽しい仕掛けをいっぱいしていきます。
そのためには、「時間」をどう使うかが鍵だなと感じていて。特に4月からの(ちゃんと入れれば)保育園&真の共働きスタートで、「自分の裁量で自由に使える時間」は細切れになることを覚悟しているわけです。レジリエンスの高い人に共通している、その場の寄せ集めで即興的にでもなんとかする「ブリコラージュ」というスキルを去年学んだんですが、まさにブリコれるかが分かれ目で。生来、隙間時間が空いても「半端になりそうだなあ」と見送り、小さなきっかけが目の前にきても「準備がままならなさそう」とやめとくことばかり。何かとやらない理由をもっともらしく見つけては見送る人生だった自分のなかなかに根深いところにあるクセだと、昨年最後のコーチングで言語化できたわけです。時間をうまくコントロールして、ブリコっていく前提には、単に時短テクとか、隙間時間の有効活用術とか、そういうことじゃなくて、「自分の心身の状態をしっかりセンサリングした上で、逆らわずに動く」ことがあると、内省の時間がたっぷりあったコロナ禍の去年、気づけたので、この7つのルールで今年は旗立て、頑張ります。人間理解のプロフェッショナルの土台の、自己理解のルーティンの話でした。
ブリコれ、自分。
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