見出し画像

運動神経仕事論

寝ゲロかけられても許せるようになってからが、子育てだと思う今日この頃。

厳密にはかかってないけど、深夜3時に咳き込みまくって「ごぼっ」という音が暗闇の隣から聞こえてきた時の、我々夫婦の飛び起きスピードもかなり板についてきた。この夏、n度目の風邪。彼、喉の調子のことを自分で「くちいたい」と言えるようになったこともあり、事態を事前に覚悟をもって迎えられるようにはなってきた我が家です。大体1週間は退治に要するので、一家揃ってその期間は引きこもりがちになるわけで、なかなかに倦む。何が倦むって、やっぱり「何かにおどろいたり前向きに飛び込んだりする気持ちのフッ軽さ」みたいなものが。

===

仕事をやっていても、フッ軽さというか、運動神経的な領域はとても多いと、最近改めて感じる。

「再現性が低い」
「結果に関わる変数がとても複雑で、毎回結果が変わる」
「だからこそ、差が出る」

みたいなソフトスキルが関わる領域に多い印象で、具体的に自分が従事する事柄で言うと、インタビュー/ファシリテーション/ブレインストーミング/質疑応答/フィールドリサーチなどなどがそう。共通項は「他者と濃厚に関わる」「正解や善の定義が時と場合によって変動する」「客観だけで片付かない、関係者の主観まじりに意思決定が入っている」あたりが見えてきます。この手の仕事に取り組むときは、なるべく準備を万全にして不確実性を下げる努力はもちろんするんですが、それでも残る不確定要素に対して、「そのつもりで向き合う」ことが入り口とても重要で。『どうすれば絶対にうまくいくか』みたいな問いを頭に立てることを捨てた方がいい。試験範囲を指定してくれる優しい先生のペーパーテストのように、いかないわけです。

よく寝て、体のキレ味みたいな感覚を研ぎ澄ましておくこと。その時その時の自分の瞬時の仮説を躊躇せず「一旦信じられる」状態に自らをもっていっておくこと。それでいて、事前の準備を時として「丸ごと捨ててその場で新たに判断できる」こだわりの無さを併せ持つこと。なんだかバンドやってた時のアドリブソロの感覚ととても似ている。それが関係あるのか、自分自身が「他の人が苦しんでいるのと比較して、あまり嫌でなくできること」が、どうもこういう「運動神経的な仕事領域」に多いことが、最近ふとわかった気がして。そうだとすると、この肉体の乗りこなし方としては、2時間パワーポイントをきれいに作るなら、その分たくさん寝てスッキリした状態でプレゼンを迎えた方がいい、みたいなことかもしれないなあと。過信はいけないけど、「自分を使いこなす」ための認識がまた一つ、クリアになった感覚があるのです。

===

とある案件で、フィールドリサーチやインタビューのスキルを担当企業にインストールする機会が去年ありまして。社内調整コストが高くて、「事件は会議室で起こってるのよ」タイプの社風を、いかにもっと外に開くかというミッションだった。どうしても、「どうしたら失敗しないか」「誰でも同じ結果が出るか」「マニュアル化できるか」が問いとして先立って出てくる相手に対して、もっと仕事をスポーツだと思ってとらえましょうとお伝えしたことが、メンタルモデルをいい感じにシフトできた感があった。

「失敗しないように」ではなく「失敗なんか大したことじゃないと思うことで瞬発力を上げる」
「属人性ゼロ」ではなく「誰もが自分の属人性をプラスに解放する」
「誰かの顔色がよぎる」のではなく「今ここ、この瞬間の自分の感性で暫定的に決める」
「答えを準備する」のではなく「最良の瞬間のための肉体の土台を準備する」
「正解を頭で学習する」のではなく「経験と思考で感覚を体得する」

仕事にも、「止まっている仕事」と「動いている仕事」があるし、
会社にも、「野に出ている会社」と「引きこもりの会社」がある。
「もし失敗したらどうしよう」ばかり部屋の中で、頭の中だけでぐるぐると考えて扉から出てこない会社には、絶対に体得できない感覚があるのだけど、どうにもこうにも頭偏重のお仕事が多い気がして。「かつて散々野に出て苦労して成功した会社」が、その杵柄で稼ぎを長らえさせながら、それでいて失敗経験ばかりを部屋の中で増殖させた結果、すっかり野の様も変わっているのに部屋から出なくなってしまっていやしないかと。それすなわち「老い」だなと思うわけです。部屋から出ないのがそりゃ、間違いなく一番失敗はしないに決まっているのだけど、果たしてそれでいいんでしたっけと。激動の時代に浦島太郎になるスピードはどんどん上がっておるわけで、事業が成功するか否か以前の「そもそも部屋から出る感覚を組織風土としていかに瑞々しく保てるか」は、大きな問いだなと痛感しております。

===

だいぶ良くなったので今日は近所のお散歩をしたのですが、やはり何かチャクラが開くようで体の稼働域が広がり直しされた息子氏。野に出て、不確実性に触れて、答えを知らない事態に対してその瞬間に意思決定をする。そういう、野生みたいなものをはて自分も忘れずにいられているだろうかと自戒をする看病ウィークの終わり。秋だし、出かけようという気持ちと、またインプロビゼーションだけでピアノを弾く経験を感性のリハビリとしてやりたいなあという気持ちとの、今週のメモ。

サポートありがとうございます! 今後の記事への要望や「こんなの書いて!」などあればコメント欄で教えていただけると幸いです!