見出し画像

海外ノンフィクション書評#2「ピカソになりきった男/ギィ・リブ著・鳥取絹子訳」(2016)

本を書くうえで、「その著者にしか書けないことが書かれている」というのは重要だ。今回紹介する本を書けるのは、おそらく世界に一人しかいないだろう。

「ピカソになりきった男」の著者は、ギィ・リブというフランス生まれの男だ。本作は、ギィが自らの半生を綴ったものとなっている。ギィの生涯は、絵と共にあった。ギィは自分の作品を、有名画家の作品だと偽って売る、いわゆる贋作画家だった。それも名画のコピーをするのではなく、有名画家の新作を創造していた。彼がどのようにして絵と出合い、贋作に手を染めたのか、本作に全て書かれている。

本作は、ギィ・リブが自身のアトリエで逮捕される場面から始まる。逮捕当日の朝も、彼はピカソとなり贋作を描いていた。逮捕された瞬間に彼が抱いたのは、恐怖でも怒りでもなく、安堵感だった。30年近くピカソやシャガールになりきっていた彼は、自分を見失うレベルにまで達していた。逮捕により、自分自身に戻れると語っていた。

ギィ・リブ曰く、贋作の正しい作り方は三つある。まず一つ目は、その画家を調べ尽くすこと。画家に関する書物を読み込み、数週間から数か月、探求を進めていく。ギィは、画家についてとにかく調べ尽くさないと気が済まなかったらしい。
二つ目は、その時代の画材を手に入れること。たとえば、1910年代の画家の作品を模倣しようと思ったら、1910年代の画材道具を手に入れて描くのだ。これを知ったとき、贋作に対する異常なこだわりを感じた。
そして三つ目は、その画家になりきること。ギィは画家になりきるために、アトリエでひたすらじっとして、集中力を高め、画家になりきっていた。その人物を演じるために、相当な心の準備が必要だった。

本作で描かれているのは、いわゆる美術の裏物語だ。ギィの贋作は、彼の逮捕と共に処分されたのだが、「いまだに俺の贋作はギャラリーやオークションに並んでいる」という嘘か誠かわからない言葉を残している。

この記事が参加している募集

記事を読んでいただき、誠にありがとうございます。良かったらサポート、よろしくお願いいたします。