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娘に勧められ

100万回生きたねこ

最近小5の娘が、「この本すごく良い話だよ」と言って持ってきたのが、『100万回生きたねこ』という絵本。

この本は、大学の講義の中で先生が紹介してくださって、なんて良い話なんだ!とすぐに購入した記憶がある。
あまりにも有名な絵本なのに、大学生までなぜ知らなかったのか?はさておき、当時の私に何がそれほど響いたのか?を考えてみると、単に自分の恋愛と重ね合わせて、当時の彼にとって自分が運命の人だと思いたかったのかな?という恋愛中心の時代が想像できる。笑

幼少期に何度も読んであげたはずだけど、小5になって改めて読んでみて、良さを感じた様子の娘。
時間が経過しても、その時代ごとに影響を与えてくれる存在って貴重だな。

乗り越えられなかった試練は繰り返される

今回娘に勧められ、久しぶりに読み返してみて、感じ方って変わるものだなぁと実感した。

『100万回も しんで、100万回も 生きた』

『100万回生きて、100万回しんだ』じゃないのかな?
100万人がかわいがり、100万人が泣いたのだから。
と思ったけれど、100万回目に生きたときに、このねこが本当の意味で生まれ変わったという設定なのかもしれない。

それではなぜ、このねこは100万回も生きる必要があったのだろう?

それはおそらく、何度死んだとしても達成できなかったことがあるからではないかと思う。それをクリアするまで、もう一度もう一度と、生まれ変わるシステムがあるのかもしれない。
私は、前世があるのかどうか知らないけれど、そこの真偽はともかく、今世だけで考えてみても、自分に与えられた課題には意味があると思うし、そこから逃げたりクリアできなかった場合には、もう一度、別の形で同じ課題と向き合うことになってるなーと感じることがある。
乗り越えられなかった試練は繰り返されるのだ。

このねこは、最後の最後に、自分よりも好きな存在ができ、初めて『生きる』ことに執着心が生まれたのだけど、その存在が死んでしまったとき、100万回泣いて自分も死んでしまう。
100万回生きても泣けなかった分を、最後に取り戻したのかもしれない。全ての生を浄化して、本当の意味で成仏できたのかな?

死を怖れず、何度も生きられることが幸せというわけではなく、今ある命を輝かせ大切な人に囲まれて生きること、そして最期に全てを使い果たし幸せに死ぬことが何よりも大切なのだなぁ。アーユルヴェーダだなぁ。

一つ一つの課題を成仏(消化)させていきたい。
もし来世があるのなら、課題が多く残りすぎていたら、次の自分に申し訳ないので。笑

やっぱり、アーユルヴェーダ目線で考えてしまうけど、何にせよ未消化物は良い影響与えないってことだと思う。

『100万回生きたねこ』このタイミングで再会(再読)できて、とても嬉しかった。ありがとう。娘にも感謝。

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