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受動的に自己を開く9

11/17(水)
別件の映像編集がパソコンがボロいせいで進まず。GPUを新たに購入することに。ものすごく高い…。映像作品をつくるのが一番金かかると思う。数百万は平気で溶けてきた。もう16 年は活動しているから、、、恐ろしくて考えないようにしてきたが、合計すると機材で1千万近くは軽く溶けてたりして…貧乏の1千万は…生活レベルのレートが違うから、お金持ちの1億くらいはあるよ!

ま。金使ったからと言って、良いものができるわけでもなく、画用紙にぴろぴろ~っと線を描くだけでも、良いとされる場合もあるし、作品の良し悪しなんて僕には一生分からないだろうと思う。こないだコアの前ですれ違ったお年寄り達も、こういう美術はよー分からんと言っていたが、僕だってよー分からんわけです。美術って沼だなあ。カイジの世界観だなあ。とよく思う。それに映像作品って部屋に飾れないから人気がないし、つくるコストと比較するとだいたい激安で売られている。なので、売れっ子みたいなものになることへの期待は随分前からほぼ皆無で、とりあえず、僕は自分が納得できるようにやるだけだ。と、思っている。

15時頃基町到着。いつものカフェへ。割としつこく通っているが、このカフェでは、僕は全くおしゃべりをしていない。普通にコーヒーを飲み、本をぱらぱら見て、会計をし、「どうも」と挨拶をするだけだ。この商店街のほとんどの店は、おそらく基町団地の住人をターゲットにしていると思うので、お客は自然と常連客になる。僕のような外の人間が毎日連続で入店すると、いったいどこの誰だろうと思われているだろうが、根掘り葉掘り聞くというのは、客商売ではしないのが礼儀なのだろう。だから、このカフェは硬派な感じがあり、けっこう好きだ。コーヒーの淹れ方も、なんだかよく分からないビーカーみたいなので淹れているし、こだわりを感じる。

コアへ行ってみると、コアの前にたくさん人が集まっていた。コアの目の前には、お年寄りの生活をサポートする包括支援センターがある。今日もこの施設がやっているラジオ体操が16時からあるため、多くの人が集まってきているのだ。ラジオ体操をすると、たしか65歳以上の人は(違うかも)、1ポイントもらえ、年間100ポイント貯めることができるらしい。1ポイントは100円として使うことができる。それもあってたくさん人が集まるんだと聞いたこともある。だけど、高齢化が進む基町団地では、こういった取り組みが地域全体での見守りの体制づくりにも繋がっていそうなので、大事な試みだなと思う。ラジオ体操の30分前には人が集まりはじめ、体操前に会話を楽しむ人がかなりいる。ラジオ体操が公民館的な役割を担っているとも言えるのかもしれないね。ラジオ体操が始まるのを待っている人達の何人かが、コアにもついでに入ってこられた。映像作品を見るときのために椅子を置いているのだが、入って来られるお年寄りの様子を見ていると、腰が痛いとかでちょうど椅子があるから入ってくるという感じ。僕としては、いろいろな会話が聞けるし、ありがたい。今日椅子に座ったおじさんは、カラオケサークルに所属されているらしい。先日公民館に行った際、スナックのようなカラオケ音が公民館全体に響いていて、昼間から酒を飲んでいそうな公民館だなと思ったことがあった。公民館の掲示板にはカラオケサークルへの勧誘のチラシが何枚も貼ってあったので気になってはいたが、おじさんの話によると、この地区にはカラオケサークルが9団体あるとのこと。週は7日しかないから、9団体で公民館の予約を取り合っているんだろうか。それから、カラオケサークルへの参加でも1ポイント付くと聞いた。まったく、良い時代だね。

ラジオ体操の後、お年寄り達が、ばーーーっとお家に帰られていき、あっという間にいつものショッピングセンターの雰囲気になった。包括支援センターの職員の方がまだ近くにいたので、「ベンチでこの後、陶芸しても良いですか」と聞く。そのまま話の流れで、近くにいたおばちゃん達2名が参加してくれることになった。職員の方に「今回、陶芸をされる意味って何なんですか?」と素朴な質問をされ、うっ となったが、「特に意味はないです。何でもいいんです。お話をする機会をつくれたらというだけです。」と答えた。???が三つくらい表情から見えた気がした。陶芸である理由はいくつかあるのだが、必ず陶芸でなければならないというわけではない。今回の活動も、僕がよく使う特殊な状況で対話を試みてみるというやつなので、一般の方に分かりやすく説明する場合には、「交流したいということです。」と言うしかない。近くで聞いていたもう一人の職員の方は、「だけど、これがどういうふうに作品になっていくかじゃもんね」と、僕の意図を汲んでくれていた。

参加したおばちゃん2人は、小さい頃に紐づくりで陶芸をやったことがあるとお話されていた。基町の小学校ではなかったようだが、立派な窯があったとのこと。そういえば、こないだ参加してくれたおばちゃんも、手つきが良かったし、昔は学校で陶芸をやる機会があったのかもね。最近では生活の中で何かを燃やすということがとても難しくなっているし、ガスコンロではなくIHになったりして、都会の子どもの中には火を見たことがないというケースまであると聞いたことがある。土を燃やすと固まり、灰を燃やすとガラス質に変化し水を弾くということは、縄文人だって知っていたかもしれないわけで、自然と人間とがどんどん離れていってしまっている感じがする。それから、今日別件で気になっていた介護の話や施設に入ることについてなどを聞いてみたりした。お年寄り視点の話が聞けた。お二人は違う意見を持っているようだったが、今までの経験から考え方は変化していくのだろうなと思った。

帰りにもう一軒寄ったが、今日も目的の人はいない。

帰宅。

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