受動的に自己を開く1

美術展の「基いの町」に参加している寺江圭一朗です。しばらくの間noteで、日々の反省を綴っていってみようかと思います。このアカウントの1つ目の記事に展覧会の詳細が書かれているようなので、気になる方はそちらもご覧ください。

この展覧会はすでに、2021年11月6日からスタートしているのですが、12月には新たに、今回の参加作家の基町(この展覧会の舞台となっている地域)での研究過程を見せる展示が開催される予定です。その為、今、僕は基町に頻繁に通い、作品制作のいっかんで、基町のことを調べているところです。

おそらく、美術への関わりがあまりない方は、どういうこと???と、ここまでの文章で思われるかもしれません。なので、僕の記事のこの第1回目は、基町という街についての簡単な説明と、美術で僕が何をしようとしているのかの簡単な説明をしてみようかと思います。

僕が今参加させてもらっている展覧会「基いの町」は、広島市の基町という地域で開催されています。基町は、広島城のすぐふもとにあります。原爆については、ある程度知っておられる方が多いと思いますが、この基町も、その影響を直に受けた中心部にあります。原爆で家屋が倒壊した後には、市内のいたるところにバラック小屋がありました。この記事に付けた写真は、基町にある陸軍病院跡地の解説板です。その解説によると、驚くべきことに、この写真は原爆が落ちてすぐの8月8日の写真のようです。この時すでに仮設の建物ができていたのです。この写真のように、住む場所が無くなってしまった人々が、たくましく仮設住宅をどんどん作っていったことで、バラックは増えました。その後、復興するにしたがい、バラックは減少していくのですが、最後までそのなごりを残していたのが基町でした。1970年代には再開発のため団地として生まれ変わり、現在も特色ある地域文化を形成しています。

このような歴史を持つ基町団地ですが、今では、高齢化あるいは外国籍の方々の流入など、現在の社会の縮図にような街を形成しており、社会学的には全国的にも今なお注目されている場所です。

僕は、社会学者ではなく、美術をしているので、社会学については詳しくないのですが、実は、一部の社会学の研究方法と、一部の美術の研究方法は似ているところがあり、親和性があります。そのため、基町団地にある、基町ショッピングセンターの一角に、オルタナティブスペース・コア(2017~)という美術の発表の場ができてからは、全国的に活躍されている美術作家を招聘するなど、美術関係者にも注目されている地域にもなっています。

さて、ここまで、基町について表面的なことを書いてきましが、こんなにサラッとした場所でなく、本当はとっても濃ゆい場所なので、実際に訪れてもらいたいと思います。

明日からは、僕の基町での美術活動についてnoteで少しずつ報告していきたいと思いますので、チェックしてみて下さい!!!

文責 寺江圭一朗


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