[日日月月]5月29日、雨上がりの森で社会変革について再び考えた
以前、社会変革の話をした。
繰り返すと、社会変革には1~5のフェーズがあるという。
直接的支援(目の前で困っている人を助ける)
サービスの提供、草の根の活動
教育、コミュニティの強化
社会変革
根源的変容(意識やあり方自体を変える)
これを地理的、または社会的規模に置き換えると、以下のようになるだろうか(パーマカルチャーで言うゾーニングの発想で当てはめてみる)。
自分自身、家族
町内、学校や職場
地域社会、世界
地球、宇宙全体
根源的変容(意識やあり方自体を変える)
前にも書いたが5は特殊なので置き換えられない。無理やり時間軸を当てはめるなら、こうだろうか。
いま、今日
数日後、数週間後
数か月後、数年後
数世紀後、数光年後
別次元
八燿堂の活動は1, 4, 5が念頭にあったと思う。個人へのインタビューや寄稿を通して「その人の本質的な部分」を誌面に定着させること(1)。および、時代が移っても動じない普遍的な価値をプレゼンテーションすることで、いまこの世界で爆発的に売れることよりも、「200年後の人たちに発見される」ことに重きを置くこと(4)。
もうひとつ、気づいた方もいるかもしれないが、誌面では誰かを攻撃したり、何かを否定したり、いたずらに批判したり、権威的にふるまったりすることは、できるだけ避けるようにしている。なぜなら、二元論的に〇か×かで競うよりも、第3の道を目指したいからだ(5)。
これらがどの程度まで実現できているのかはわからないが、活動開始から約5年経ち、ありがたいことに、八燿堂に対するご愛顧やご支援があたたかく広がり、深まっているのを感じることができている。
ただ5年経って、こうしてあらためて整理してみると、2と3がきれいに抜け落ちていることに気づく。
思い当たる節はたくさんある。例えば八燿堂から刊行した宮沢賢治『農民芸術概論』の、八燿堂の商品紹介ページではこんな風に書いている。
こうして客観的に見てみると、自分の手と宇宙が直結するという、なんともすさまじい飛躍が……(苦笑)。いやいや、当の『農民芸術概論』だって、賢治が立ち上げた羅須地人協会という、学校という体裁のある種の地域コミュニティから誕生したものではなかったか。
八燿堂の――または一人の人間としての?――次の一歩は、2と3にあるのではないか。
ただしそのときに、原点である「本」を中心に据えること。
例えば、デジタルやイベントの類だけでは完結させない。
それらを経由しても、「本」に帰ってくること。
そう、「原点回帰」はとても重要なメッセージだった。
生まれつき自分に備わったギフト――個性や能力――の組み合わせ。
社会に対する使命と貢献、自分が生きることの意味。
誰とも比較しない、自分の喜びに忠実に沿ったあり方。
おぼろげながら見えてきた、かもしれない。
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