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[mahora 第6号]編集後記

この記事は……
長野県小海町の一人出版社「八燿堂」から刊行する基幹タイトル『mahora』の、各号の編集後記を本誌から転載しました。『mahora』の表現する世界観を少しでも味わっていただけましたら。

(第6号の編集後記は、以下の詩から始まります)

……唐突に失礼しました。生まれて初めて書いた詩です。愉しんでいただけたら恐悦至極。

これはですね、本誌第2号に寄稿いただいた、こじょうゆうやさんもかかわる、お金にまつわるワーク(「エネルギー循環合宿 愛のマニーマニー」。以下、合宿)に、私が昨年から参加しておりまして(本稿執筆時も継続中)、そこで得たコペルニクス的転回的学び――ざっくり申し上げると、「エネルギーの観点からお金をとらえる」こと――への応答として書いたものです。

にしてもなぜ詩? 自分でも不思議ですが、くどくど説明するより詩のほうが合宿の内容が伝わると思ったから(伝わりましたかね?)。あと、差し出された可能性を選んだから、と言いますか。まあ、現時点での回答になりますが、よかったら御笑覧を。

なんだか覚束ない話にて大変恐縮ですが、ひとつ明言できることがあるとすれば、エネルギーの観点で物事をとらえていくと、いつの間にか「お金」という概念が消滅していくような、あるいはまた、自分自身の「ニーズ」というものをとことん突き詰めていくと、いつの間にか「自分」がいなくなるような(だけど「願っている自分」は存在するという、両極の共存または二元論の超克と言いますか)、そんなふうにさえ感じたことです。

ただフタを開けてみたら今号の冒頭に掲げたヒンドゥーの聖典の一節(以下)と見事に(ほぼ)シンクロしているのが驚きで、とうとう俺もこの境地に達したかとほくそ笑んだ、というのは半ばウソですが、「ああ、そういうことなのね……」と、いささか拍子抜けするほど答え合わせができたような感覚にもなりました。否、抜けたのは肩と眉間の力み、でしょうか。

すべてのものに敵意を抱かず、友愛あり、哀れみ深く、「私のもの」という思いなく、我執なく、苦楽を平等に見て、忍耐あり、常に満足し、自己を制御し、決意も堅く、[…]世間が彼を恐れず、彼も世間を恐れない、喜怒や恐怖や不安を離れた人、彼は私にとって愛しい。

『バガヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳/岩波文庫)

ところで、つい数行前に「自分自身の『ニーズ』」と書きましたが、それって何ですか。これすなわち八燿堂の理念でして、「200年後の世界も、あらゆる生命が生き生きと輝いていられるように、活動を通して貢献する」と出ました。はい。本気です。エゴがなく美しい。と、自愛しております。エゴも役に立ちますが。

これが合宿とNVC(非暴力コミュニケーション。本誌第4号をご参照のこと)のおかげでかなりクリアになったのは超感謝かつ激リスペクトなのですが、ただこれに忠実に則るなら、八燿堂の「あり方」をもっと精査できるんじゃ?と、実は感じてます。もし何かが変わっても、驚かないでくださいね。やろうとしていることには、むしろきっと、近づいてますから。気が付けば2024年、噂では大変革の風の時代の真っ最中。私はこれから、私をどこに連れて行ってくれるのでしょうか。

「いいね、kotaroチャン。ここからが本番だよ。
自分自身で生きるという精度をさらに上げるんだ」

遠くて近い場所からこだます託宣をお守りに。
今号もたくさんの出会いと再会に恵まれたことに感謝いたします。

2024年1月
『mahora』編集・発行人
岡澤浩太郎/八燿堂


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