最低最悪な源家族へ。パート1

今の私、父と兄と縁を切ります。
後悔はしていません。

私は幼い頃から虐待を受けて育ちました。確かに私が小さい頃の社会は躾で子供を殴るのはよくあることでした。しかし、それは善悪を知らぬ子供達にとって躾として効果覿面なものなのでしょうか?
少なくとも私は躾ではなく、虐待だと思います。

たとえば私の父は私達が食事をしていてその中で私が食べるのが遅いと私の皿を取り上げて窓の外に投げ捨てる、もちろんまだ残っているのにです。それから事あるごとに殴る蹴るの暴力、『痛い、やめて』と言っても止めてくれない。それから気を悪くすると子供に向かって手元にあるものを手当たりしだいに投げつけてくる。灰皿、ライター、新聞紙、雑誌、ゴミ箱、テーブルのうえに置かれたグラス、デザートの果物など…。朝食のおにぎりを投げつけられたこともありました。それからいちばん怖かったのは、父に水を張った浴槽に投げ入れられて蓋をされたことです。蓋を閉められて暗くて冷たくて恐怖でしかなかったことを覚えています。

時が過ぎ、私が小学校高学年になると…
明らかに兄びいきな場面が多々出てきたのです。まず、私は子供部屋を追い出され、兄の古い学習机とベッドだけしか家具を与えられず、居間の隣の廊下に私の部屋を作られました。父や母は和室で布団を敷いて寝ている。兄は8畳の子供部屋を独り占めしてそこでぬくぬくと過ごし、私が兄の部屋に入ろうとすると怖い顔をして追い出しました。
その廊下部屋は、友人たちにも知れ渡りそれが原因でいじめられました。貧乏だの最悪だの、ひどいものでした。
兄も兄です。そんな私に対して『やーい、お前はバカだから廊下部屋で充分なんだ。俺は天才だから部屋をもらえた!』などと見下すように…

両親に部屋が欲しいと懇願したが私に部屋をくれませんでした。挙げ句父からは…
『そんなに部屋が欲しいなら車の中で寝ろ。勉強するときだけ家に戻ってこい』だの
『犬小屋で寝たらいい。俺らの小さい頃は犬小屋でも寝たんだ』と。
世の中は平成になったばかり。小学生の子供が車の中で寝ていたり犬小屋で寝ていたなんて言ったらその時代でもさすがに問題になるでしょう。警察のお世話になるはずです。とにかく時代錯誤もいいところだ。
そんな背景もあってか、私はスーパーハウスに憧れました。家の中に部屋を貰えないならスーパーハウスでもいいと本気で考えるようになったのです。

そんな中、私が小学5年生の頃にインフルエンザに罹患しました。そこで学校を休んで病院に行ったのですが、そこでは風邪の薬と吐き気止めを処方されて帰宅してから薬を飲んだところ…病院で出された薬(後に吐き気止めが原因だと分かった)が強すぎて、私は幻覚を見てしまったのです。
頬の筋肉、首の筋肉に違和感をおぼえてその後には頭部から頸部にかけて自由に動かなくなり、誰かに頭を掴まれて左右にグイグイ動かされている…もちろん誰も私の頭を掴んでいないのに…幻覚でした。
その幻覚が始まってから、母親に別の小児科に連れて行かれて『吐き気止めが原因かな…』と言われ、頬に湿布を貼られて帰宅しました。だが、幻覚は止まるどころか更に酷くなり、痙攣のような状態になってしまい、大病院の救急に担ぎ込まれました。そこでは血液検査もしてくれて点滴をされ、インフルエンザに罹患していることと、幻覚の原因は吐き気止めであることが分かったのです。
インフルエンザ、当時はタミフルやリレンザなどの特効薬も無く対処療法でしか治りませんでした。だから熱が下がるまでも時間を要しましたし、苦しかったです。

インフルエンザが治まってから、兄は私に事あるごとに『首が回っちゃう〜』と私が幻覚を見て苦しんでいた時の真似をするようになったのです。それも笑いながら…。それを見た父も笑い、私に『あの時はまほろの頭がおかしくなったのかと思った』などと言い放っていたのです。普通親なら止めるだろう、そういうのは。今でも許せません。病気で苦しむ人を見て笑う、その人の真似をする、おかしくなったとかそういう暴言…今思うと人間性に問題があるとしか思えません。

パート2に続く。

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