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放課後まほらbo第十一話 「遊びの必要性」を考える

【第十一話】
■遊びを捉える
■遊びの大切さ
■遊びは子どもにとっての仕事
放課後まほらboでは、「あそびは、最高の学び!」の構造化をすすめ、遊びを科学することで、こどものより良い成長を促す「遊び」とは何かを考えています。


■遊びを捉える
 第九話で「3つの遊びの側面」を話題にしました。そもそも「遊び」とはなんでしょうか。フランスの社会学者ロジェ・カイヨワによれば、「遊び」とは以下のような特徴があるといいます。(出典wiki)
・自由意思にもとづいておこなわれる。
・他の行為から空間的にも時間的にも隔離されている。
・結果がどうなるか未確定である。
・非生産的である。
・ルールが存在する。
・生活上どうしてもそれがなければならないとは考えられていない。


 非生産的で、生活上なくてはならないものではないのに、遊びに必要性を考える意味があるのでしょうか。これらの特徴は、近年の動物行動学者の研究によって爬虫類やミズクモにまで観察されるという報告がされています。生きもの全般にみられるということは、必然性につながるのかもしれません。またカイヨワは、著書『遊びと人間』(1958年)の中で、競争(力くらべ、かけっこ)偶然(じゃんけん、サイコロ遊び)模倣(積み木、ままごと)めまい(ぐるぐる回り、ジェットコースター)という4つの要素で遊びを類型化しています。発達という視点で考える時、遊びは、よりその必要性が焦点化されます。それは人の身体的、認知的、社会的な発達には、子ども時代の「遊び」が大きく影響すると考えられるからです。ネコ科の肉食獣が、子ども同士でじゃれあいながら狩りの動きを学んでいるというTV番組での場面はよく観ます。私たちは赤ちゃんが遊びながら、ハイハイ、つかまり立ち、歩きはじめる過程で、たくさんの遊びを楽しむ様子をみることができます。この身体能力の高まりとは、各部位の機能性が高まるだけでなく、その統合力の向上こそが運動能力の向上とみなされます。身体の各部を統合し、スムーズな運動で機能させていくには神経系の発達が伴わなくてはなりません。そこから身体的な成長は、感覚統合による認知的な発達をより促すことにつながると考えられます。この認知的な発達が、私たちの社会では自らおかれている環境を理解し、より良く生きていくために周囲との関係性の構築など社会的な側面の発達を同時に促すと考えられます。心理社会的発達については、すでにE.Hエリクソンの発達理論でよく知られています。つまり子ども時代の「遊び」には、これら「身体、認知、社会」という、3つの観点が相互的に影響すると考えていいのだと思います。

■遊びの大切さ
 身体的遊びについては、第九話でそれが神経系の発達を促すことに触れました。感覚統合を意図した運動遊びの研究は幼児教育や療育の分野で多くされています。これからは行動療法的な取り組みが身体と脳の間でどのように影響し合うのか、その発達の仕組みが明らかにされるかもしれません。私たちは、主に身体を通して外部の環境と接しています。暑い・寒い、硬い・柔らかい、重い・軽い、明るい・暗い、ざらざら・すべすべ、といった身体感覚で感じるものや、冷たい視線・温かい眼差し、家庭的な雰囲気のように、他者との関係性の中でそれを理解し、社会心理的に獲得していくものもあると思われます。子どもは喧嘩して相手に叩かれると「痛い」と感じ、「嫌な」思いをします。それが他者との関係を避けることになったり、自信を喪失させたりすることにつながることもあります。成長の過程とは常に認知的な発達と社会性の発達との相互関係ともいえます。
 カナダの行動神経学者サージ・ぺリスは、ラットを使った興味深い実験をしています。それは成長期にある子どものラットばかり集めたゲージと、成熟した大人の中に子どもを1匹だけ入れた場合の比較観察です。その結果、若いラット同士のゲージでは、夜中にじゃれ合う場面が多く見られましたが、大人のラットの中にいれられた子どもは毛づくろいで触れることはありますが、大人のラットとの間では、じゃれ合いのような遊びが観察されなかったということです。その観察結果と、環境の違いで育ったラットの脳を物理的に比較したところ、サージ・ぺリスは、遊びの少ないラットについて下記のように報告しています。
1、仲間と共同で行動する社会的スキル発達に遅れが見られる。
2、意思決定や衝動の制御を司る前頭葉皮質の発達に差がある。
3、遊ばなかったラットは脳の神経細胞の発達が乱雑である。

シナプス比較

また、この実験からヒントを得たマシュー・クーパー(行動神経学者:テネシー大学)は、ハムスターによる追加の実験でこのような確認をしています。遊びの足りない個体を、その個体よりも小型で大人しい個体と一緒にゲージに入れて観察すると、その個体はゲージの中で落ち着くことができず、餌の獲得を放棄したり、ゲージから逃れようとしたり社交不安が強く表れた。マシュー・クーパーは、遊びの少ないハムスターについて下記のように報告をしています。
1、社会的敗北から立ち直れない。
2、戦いに直面すると降参する。
※参照:世界のドキュメンタリー2019.11放送「遊びと科学」(2019:Tell Tale Productions)

 「遊び」と、身体的、認知的、社会的、発達との相互関係が、次第に明らかになってきているのです。行為としては、意味のない、社会的に必要とされていない、非生産的な「遊び」でも、ヒトの発達や成長にとって、実は大変重要な役割をしているということが、具体的に解明され始めています。この遊びの効果は、単に身体能力の向上を意味するだけではなく、いわゆる資質・能力といわれる「自己肯定感」「動機付け」「メタ認知」などを高めることにもつながると考えられます。

■遊びは子どもにとっての仕事
 赤ちゃんが自分で移動が可能になるころには、掴んだり、投げたり、蹴ったりすることが出来るようになります。掴めると、自分の手元においたり、他者に与えたりすることが出来ます。そこに他者との関係がうまれて感謝や満足という感情と同時に、自己効力感、自信や意欲が生じます。原始的な快感から得られる基本的信頼や意欲は、生きるためにミルクを与えられ口唇を通して獲得するというのが、エリクソンの社会心理学的解釈ですが、それは、発達課題の段階的な獲得であり、その課題も成長に合わせて変化するとされています。食べたり、排せつしたりするという身体的な欲求だけではなく、関係性による高度な欲求を満たすことで、一層の発達を促していくのが、子どもにとっての「遊び」の役割りなのです。
 このことから子ども時代に、多様で十分な遊びを経験しておくことは、その後のヒトの成長の基礎として重要であるということは容易に想像ができます。子どもにとって遊びは成長に必要なもので、そのため「遊び」もその発達段階に合わせて変化していくということです。多くの大人が仕事を通して社会的に成長をするように、子どもにとって「遊び」は身体的、認知的、社会的に、子どもを成長に導いてくれる機会なのです。
 大人が子どもに「遊んでばっかりいないで勉強しなさい」という時は、相当慎重にしないと、大切な学びのチャンスを逃すことになっているかもしれません。産業革命以降の近代にそれまでなかった「子ども」という概念が生まれ、この大人として成熟するまでの期間を、心理社会的モラトリアムとして心理学に導入したのもエリクソンです。子どもや青年期について考えるということは、大人とは何かを問うことでもあります。そこで必要とされる「遊び」は、子どもにとっての「仕事」であると、この成長の機会を丁寧な子どもの観察から導き出したマリア・モンテッソーリは、幼児教育の基礎として「遊び」を捉えました。
 こういった「あそびを科学する」という視点で、放課後まほらboの考え方について紹介していきたいと思います。
 次回は、子どもにとっての「遊びと仕事」について考えたいと思います。
では。
 
(みやけ もとゆき/もっちゃん)