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放課後まほらbo第二十話 「地域で学ぶ」仕組み

【第二十話】
■いつから「地域で学ぶ」と言われ始めたか

 教育に社会全体でコミットする「社会総がかり」という言葉がいつから使われだしたのか調べてみますと、平成20年の教育再生会議最終報告でこんな表現をみつけました。

○国民一人ひとりが「当事者意識」をもって、学校、家庭、地域、企業、団体、メディア、行政など、あらゆる主体がそれぞれの役割を自覚し、教育再生に積極的に参画する。
○それぞれが「連携」を図り、責務を果たすことによって、以上のような教育再生を実現する。https://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/houkoku/honbun0131.pdf

 文科省も、今ではかなり高度な協働社会と教育コミュニティづくり(教育を軸にした地域再生の取り組み)を推奨しています。
https://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/siryo/attach/1365161.htm

 この話を市川先生にすると「1990年代の学校週5日制の導入に合わせ、子どもたちの受け皿づくりとして地域で「土曜日活動」が推奨されたのが始まりではないか。」と言われて思い出しました。確かに、そのころPTAで校長先生に頼まれ色々取りまとめをしました。それが「子どもの居場所作り事業」として今日まで続いているのが、「地域の学び」を制度として推進したと言えるかもしれません。
 勿論それまでも、子どもを対象にしたプログラムや活動はありました。オーガナイズされたものであれば、ボーイスカウト運動や少年赤十字やスポーツ少年団、子ども会、PTA行事、ボランティアが志すテーマごとの活動や囲碁や将棋、スポーツなどのすそ野を広げる文化スポーツなど活動は多様でした。そういった様々な活動を集約することで、より参加しやすくしようとする試みと、地域の年配の皆さんが昔遊びなどで子どもたちと関わるというのが居場所作りの初期の姿だったように思います。「子どもの取り合いになる」と子ども向けプログラムを実施していたボランティアの方が表現されたのを記憶しています。
 こういった流れは公立学校改革の一つとして、地域運営学校や、学校支援本部を地域に設置するという教育政策につながり、現在の学校地域協働活動へとつながるのですが、私がここで指摘したいのは、日本では、このように子どもが「地域で学ぶ」ことを推奨し、制度化してきたということです。中国の方に、この「地域の学び」の仕組みを話しても「そもそも、そんなことに携わる地域の人は中国にはいません。やるとするとビジネスになる。」というのですから、この仕組み自体が日本社会の特徴と言えるかも知れません。

■なぜ「社会総がかりで教育」を推奨するのか

 ではなぜ子どもを「社会総がかりで教育」する必要があるのでしょうか。中教審や文科省の資料には色々書かれていますが、要は「必要だから」なのだと思っています。教育をどう捉えるかによりますが、学校教育で担える範囲には自ずと限界があるからです。教科学習や集団活動で培われる力は人生の基礎をつくる大切な教育課程に違いありませんが広い意味で教育を捉えると、人間としてのより良い成長には、十分とは言えないことがわかります。市川伸一先生の著書「学ぶ意欲とスキルを育てる」には、かなり的確に全体の構造が示されているのでご一読をおすすめします。かいつまむと、学校教育で習う教科とはある意味で、専門性を意識した履修科目が学習内容として準備されていて、その究極のモデルは博士やアスリート、芸術家といったスペシャリストにつながる分野です。いっぽう地域での学びを考える時のモデルは「一般市民としての生活モデル」があげられています。それは私たちの多くがもつ、職業生活、文化生活、市民生活といった暮らしを豊かにする営みの分野です。
 もちろん学校教育で学ぶ教科学習や集団生活も社会で生きるための基礎力になりますが、地域で出会う多様な大人をモデルとした学びを合わせることで、子どもは社会の構成員として、より豊かな成長の機会を得られるという考え方です。教職員の繁忙を緩和するとか、お年寄りに生涯学習で得たスキルを発揮する機会をつくるとか、そんな社会的な視点というよりも、シンプルに社会の多くの大人が関わることが、こどもたちの成長に欠かせないという視点であることへの理解を、もっと広げる必要があるのではないかと思っています。

■子どもが「地域で学ぶ」意義とは

 アフリカのバカ族では、一定の年齢になった男の子は家族を離れ旅する習慣があり、男の子はそこで出会った別の集団に数カ月受け入れられて、生活を共にし、狩りなど生きる上で必要なことを習うそうです。やってきた少年を受入れ共に暮らし、狩りの技術、生活の術を教えるという不文律が、当たり前としてあるそうです。

バカ族の共同養育については下記参照
https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/nikkei/34-2016-01-10.html

こんな事例を聴くと、子育ての共同性は、私たちの進化の過程で備わったものではないかと考えてしまいます。そうやって集団を大きくして社会をつくり、繁栄してきたのが私たちなのだとしたら、今のような、個人主義や経済力を根本においた教育の私事化は、その進化に逆行しているように思えるのです。私の少し先輩たちからは、地方の田舎では村で出来のいい子どもがいたら、みんなで力を合わせて大学にやったという話をしばしば聞きました。鹿児島や秋田での実際の話です。そうやって育った人は、社会に役に立ってくれるという、公共と相互扶助の考えからなのだそうです。格差が開くばかりの社会では、もしそれが、私たちにもともとあった子育ての共同性を回復することに繋がるのなら、子どもが「地域で学ぶ」意義は大変大きいのではないかとも思います。子どもの知的な好奇心を刺激して、毎日の小さな冒険を支える大人の役割りとその意義は、決して小さくはないということです。
感染症と共に生きる「新しい日常」では、子どもたちが日々体験する、学校や地域などでの身体的、知的な「小さな冒険」を推奨し、そこで得られる学びを肯定する価値観を、私たち大人が持つことが重要だと考えています。
放課後まほらboでは、生活の中での知的冒険遊びを楽しめるプログラムを準備しています。そこでは、学習の基礎と探究を基本にした学びを大切にしています。
次回は、子どもが伸びる「野外・生活体験」の仕組み、について紹介したいと思います。
では。
 
(みやけ もとゆき/もっちゃん)